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第1部 はじまりの島

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 鉄骨がむき出し、エンジンが丸見え、運転席は吹きさらし。太いタイヤに、大きな荷台。丸々太ったタマネギを積んで、あぜを乗り越え運び出すのは「農民車」。地元の鉄工所が作った農耕用作業車のことで、淡路島ではお馴染みの風景だ。

【9】農民車 島一番の働きモノ
これが淡路の農民車。重たいタマネギに力を発揮。嫁入り道具を運ぶ姿を見た人も=南あわじ市賀集鍛治屋(撮影・大山伸一郎)
これが淡路の農民車。重たいタマネギに力を発揮。嫁入り道具を運ぶ姿を見た人も=南あわじ市賀集鍛治屋(撮影・大山伸一郎)

 見たこともないものを、タマネギ島で見た。

 鉄骨むき出し、エンジン丸見え、運転席は吹きさらし。太いタイヤに、大きな荷台。丸々太ったタマネギを物ともせずに、あぜを乗り越え運び出す。

 半端でない手作り感が、シブくもかわいい。思わずカメラを向けると、地元の人がけげんな顔で聞く。

 「農民車が珍しいんか」

 農民車とは、地元の鉄工所が作った農耕作業用車。圃場(ほじょう)の中にぐいぐい入り、収穫作業には欠かせない。堆肥を運んで地を肥やし、農薬を積んで防除に励む。島一番の「はたらくくるま」だ。

 一台一台比べて見ると、顔も形も年代もさまざま。島には何か、独自の進化を遂げる環境があるのだろうか。ガラパゴス諸島に上陸したダーウィンのように、車種の多様性に興奮する。“車の起源”を尋ね歩くと、ある鉄工所に行き着いた。

土着的なハイブリット車
農民車を生んだ前田鉄工所。製造を終えた今も、40年ほど前に作った農発エンジン車が修理に持ち込まれる=南あわじ市榎列松田 
農民車を生んだ前田鉄工所。製造を終えた今も、40年ほど前に作った農発エンジン車が修理に持ち込まれる=南あわじ市榎列松田 

 「トラクターこしらえるいうのがならなんで、農民車になったんよ」

 タマネギ畑が周囲に広がる兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)松田の前田鉄工所。今は製造をやめた工場で前田定男さん(72)が“開発秘話”を語る。

 兄の敬語さん(故人)が始めた鉄工所は、耕運機を作っていた。国産トラクターが普及する1962(昭和37)年ごろ、敬語さんはいとこの相談を受け、見よう見まねで自作に挑戦。自動車のフロントを使い、中古の農業用発動機を積み、荷車用の車輪を付けると、でき上がったのは風変わりな車だった。

 体は自動車でも心は農機具。土着的なハイブリッド車はたちまち評判を呼んだ。

 淡路の「じゅるい(ぬかるんだ)」農地に当時の軽トラックは弱かった。タマネギなど重量野菜を運ぶにはパワーも足りなかった。そこへ現れたのがオーダーメードの農民車。四輪駆動を導入し、堆肥を運ぶためにダンプ機能を、タマネギを小屋につるためにリフト機能を荷台に取り入れた。

 「設計図はないさかい、我流での。1カ月で50台くらいこしらえた時もあったの」

 生産は島内の鉄工所に広がり、10社以上が手掛け、80年代は推定1万台とも記される。見た目の多様性は、寄せ集めた部品による、おおらかな作り方によるものだ。

機械化の促進で減る出番
自動車整備のプロが作る農民車。こだわりの青色を見たら、それは上原鈑金塗装工場製だ=南あわじ市神代国衙
自動車整備のプロが作る農民車。こだわりの青色を見たら、それは上原鈑金塗装工場製だ=南あわじ市神代国衙

 「淡路の鍛冶屋さんの知恵の塊やね」と元淡路農業技術センター次長谷口保さん(89)。昔は農民車の発表会もあり、「もっと行政で取り上げてはと言うたこともありました」。丈夫で長持ち、40年以上の車も珍しくない。「あれがなくなると、農業がいっぺんに衰退してしまう」と、その役割を評価する。

 しかし、農業人口が減り、かつ、圃場(ほじょう)整備や軽トラックの性能向上につれて、農民車を作る鉄工所も姿を消していく。

 同市神代国衙(じんだいこくが)の上原鈑金(ばんきん)塗装工場は、40年ほど前に農民車製造に転じた数少ない現役。今ではフレームは規格化し、使用するのは軽自動車の中古エンジンだ。年間20台ほどの注文を休みなくこなすが、「この先どうなるか分からへん」と2代目の上原直樹さん(43)は打ち明ける。

 自動車のハイテク化により、対極的な存在の農民車に使える中古部品は、供給が細っている。加えてタマネギ農家の省力化のため、収穫から出荷までの機械化の促進が、農民車の出番を少なくする。

自由と創造という島の気風
リフトダンプにしびれ、改造後の「ログズギャラリー農民車」。現在は洲本市内の倉庫で待機中という(提供)
リフトダンプにしびれ、改造後の「ログズギャラリー農民車」。現在は洲本市内の倉庫で待機中という(提供)

 伝統行事や農耕儀礼のように、時代の変化で失われてしまうのだろうか。

 「農民車は地域の文化財。民俗的な部分に引かれる」と、インターネットで「淡路島農民車考」を運営する近野新さん。90年以降、農民車を数千枚も撮りため、独自に分類したのは、誰も記録していなかったから。運転は実は一度もしたことがない。「農家に生まれていたら、空気のような存在の農民車に興味は湧かなかったかもしれません」

 必要なのは、外部の目かもしれない。兵庫県立三原高(現淡路三原高)放送部は2003年、農民車を追った番組「田舎のスーパーカー」で県高校総合文化祭の銀賞に輝いた。

 「『ほんまにあんなのが走っとるん?』と大受けでした」。当時の顧問の坂井啓太郎・あわじ特別支援学校教頭(52)は振り返る。だが、撮影当初は「どんな場面を見せればいいのか、気付くのに時間がかかった」。あまりに当たり前すぎる存在だからだ。

 だから、見る人が見るとアートにもなる。

 「農民車製作プロジェクト」を11~13年、2人組の「ログズギャラリー」(活動休止中)の浜地靖彦さん(46)=大阪府吹田市=と中瀬由央(ゆきひさ)さん(46)=神戸市灘区=は手掛けた。

 農民車を初めて見たとき、「映画『マッドマックス』の車におばあちゃんが乗ってる」と衝撃を受けた。車を動くメディアとする作品を発表していた2人だが、構造や溶接などは未知の領域だった。農民車の情報の少なさから、「自作自動車」と妄想したことで、製作へのエンジンがかかった。

 身の回りの製品の多くが、便利だけど仕組みは分からない。「ブラックボックス化している時代に、自分で手が付けられるものは今後も大事なんじゃないか」。自由と創造の可能性は、島にこそあるのかもしれない。

 開放的な農民車が、淡路の気風そのものに見えてくる。いつか「農民車博物館」ができるといい。略して「みんぱく」。淡路らしい民俗博物館となること、間違いない。(記事・田中真治、写真・大山伸一郎、大森武)

【農民車】
神戸新聞NEXT
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 淡路島内でも地域性があり、北部の狭い山地では「津名型」。小回りが利くよう車長や車幅を切り詰め、エンジンをリアに積むことで登坂力を高めている。沼島周辺などでは、車輪の小さい「漁民車」もある。かつては、タマネギ産地である佐賀のほか、徳島ではナシ、沖縄ではサトウキビの収穫に農民車が使われていたことがあるという。

 

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