第1部 はじまりの島
集落を挙げて花嫁と花婿を祝福する、島の伝統的婚礼行事。「花嫁菓子」が住民に配られ、2人はたくさんの笑顔に包まれてともに歩み始めた。

慣れ親しんだ自宅で、白無垢(むく)姿に変わる。
兵庫県南あわじ市北阿万(あま)伊賀野。山と畑に囲まれた集落の一軒家。挙式を迎えた森理衣(あやえ)さん(23)が、応接間の姿見の前に座る。仕上げに純白の綿帽子をかぶる。笑みがこぼれる。
「姉ちゃん、きれいなぁ」。3人の弟が近づき写真を撮る。目に涙をにじませる祖父母も、見守る両親も、穏やかな表情だ。
午前8時すぎ。母の加代さん(46)の右手に理衣さんが左手を重ね、つないだまま玄関を出る。家の前では花嫁を一目見ようと、近所の人々が集まっていた。
「行ってらっしゃい」。理衣さんが小学校へ通った幼いころと同じ、優しい声が包む。
澄んだ空気の中、向かう先は、同じ集落に住む花婿の家。新郎宅で花嫁を披露する「嫁入り」。淡路島でも珍しくなった伝統の婚礼行事が始まる。

4月30日、晴れ。会社員の山本竜也さん(24)、公務員の森理衣さん(23)が、淡路市内のホテルで結婚式を挙げた。
ともに南あわじ市北阿万伊賀野で育った。挙式に先立ち、竜也さん宅では島に伝わる婚礼行事「嫁入り」が執り行われた。
朝、自宅で着付けを終えた理衣さんは、家族と竜也さんの家へ。「花嫁は縁側から夫の家に入る」というしきたり通り、庭に面した掃き出し窓から入り、仏壇に線香を供えた。
その後、白無垢に身を包んだ理衣さんが姿を見せた。庭を向いて置かれたいすにそっと腰を下ろし、笑顔を向けた。
その数、100人はいただろうか。窓を取り巻くように集まった近所の人たちが歓声を上げ、手を振った。カメラのシャッターを切る音が響いた。部屋の奥では、紋付きはかま姿の竜也さんが、両家の両親とともにその様子を見守った。
「こんなに大勢来てくれるなんて…。緊張よりも感謝の思いが大きいです」とはにかむ理衣さん。竜也さんも「朝早くから集まってもらえて幸せです」と息を合わせる。
白無垢姿を披露した後はお色直し。赤の色打ち掛けに変身すると、再び歓声と拍手に包まれる。「美男美女やねぇ」「嫁入りなんて何年ぶりやろ」
庭では、親族が市販の駄菓子を包装した「嫁菓子」を近所の人々に配っていた。子どもたちが手を伸ばし、用意した500個があっという間にさばけた。
「嫁入り」は1時間ほどで終わった。新郎宅を出発するときは、全員が玄関から出る。両家そろって、挙式会場へ向かった。

婚礼の数日前に、新郎が新婦宅を訪れる「婿入り」。新婦が自宅で家族や先祖に感謝の気持ちを伝え、ご近所にも花嫁姿をお披露目する「出(で)立ち」。そして「嫁入り」。
こうした婚礼行事は、自宅で祝言を挙げた明治以前からあり、旅館や宴会場で派手な披露宴を開くようになった昭和期も続いた。自宅で着付けをする手間などからか、近年は減少。それでも「祖父母のために」などと、簡略化して「嫁入り」をする夫婦はいる。
行事以外の婚礼にまつわる風習も、現代に受け継がれている。
例えば、「嫁菓子」。洲本市の本町商店街にある駄菓子店「まるみ堂」は「花嫁菓子」の看板を掲げる。
「包み紙が、赤とか黄色とか華やかなのを選ぶの。茶色は避けるかな」
「寿」と書かれた透明の袋に、森山悦子さん(65)が手際よく駄菓子を詰めていく。中身は時代とともに変わり、今は箱入りのポテトチップス、個包装のパイ、スナック菓子など7個ほど。「割れない」ように偶数は避けるとも。リボンを結び、高さ10センチほどの嫁菓子が1袋30秒で出来上がった。
かつて、出立ちでは新婦側が、嫁入りでは新郎側が、それぞれ数百個単位で用意した。今は披露宴の引き出物に入れたり、職場に配ったり。十数年前、東京で披露宴をした森山さんの長女は、会場に嫁菓子を積み上げた。「感謝の気持ちと故郷への思い。その両方を詰め込めるでしょ」
花婿の家まで花嫁を運ぶ「花嫁タクシー」も健在だ。「洲本観光タクシー」(洲本市)は、前面に「寿」の銘板を掲げ、後部座席に赤い布を敷いた黒塗りの車両を持つ。
花嫁の綿帽子を乱さないよう、天井の一部が跳ね上がる。「後退は厳禁」「北から入ってはいけない」など、運転にも決まり事がある。和装での挙式が人気の近年は、神社から披露宴会場への移動にも使われる。

「島全体が裕福やったいうことかなぁ」
南あわじ市八木養宜上(ようぎかみ)で贈答品店「津川」を営む津川浩路さん(81)が振り返る。昭和30年代から平成の初めにかけ、島内や四国の旅館、宴会場で披露宴の司会を務めた。
昇降機で登場。和傘を差して座敷を歩く。人力車に乗って入場する花嫁もいた。余興はまるでカラオケ大会。だんじり唄を披露する人も。招待客は100人を優に超え、6時間を超える宴は当たり前だった。
特徴は引き出物の多さ。「派手さと引き出物の数は感謝の大きさ。それと、島の人の見えとちゃいますか?」
竜也さんと理衣さんの両親も、一連の婚礼行事と派手な披露宴をした。両家は直線距離で約300メートルの近さ。2人は1歳違いで、同じ小中学校に通った。嫁入りは、理衣さんの父、文昭さん(49)の提案で実現した。
結婚後、2人は故郷を離れ、洲本市内で暮らし始めた。伝統の婚礼行事を「やってよかった」と思う。人々のぬくもりを感じられたから。感謝を胸に、2人で歩んでいく。(記事・金慶順、写真・大山伸一郎、大森武)

「嫁入り」にまつわる風習は全国各地に残っているが、地域ごとに形態や伝わり方は異なる。「嫁菓子」は淡路島以外に但馬、徳島県、京都府北部、名古屋市などでみられ、市販の駄菓子の詰め合わせもあれば、手製のせんべいを包んだものもある。名古屋では、餅まきのようにベランダから菓子をばらまく地域もあるという。