御所の西、周囲に古い町並みが残る京都府庁。防災を担当する長沢純一総務部長は「初めて行ったこと自体に意義がある。しかし、それでいいかどうか、課題は残る」と振り返った。
「琵琶湖東部でマグニチュード7・2の大地震」。そんな想定で昨年十一月、滋賀県彦根市で実施された近畿府県合同防災訓練は、二府八県が参加した。
工夫したのは、応援要請のやり方である。
滋賀県庁は混乱で、その余裕がない。代わりに隣の京都府が応援調整する「主管応援府県」になった。
「医療救護班六チーム、給水車六台、米穀など十万食…」。ファクスが、発生から半時間後、滋賀から京都に届く。京都府庁は、大阪、兵庫などに対し、必要分を割り振った。
「阪神大震災では、おにぎりを持って行くかどうかでも『腐るのでは』と迷った。被災地が何を求めているか、分からないことばかりだった」と長沢総務部長。府は発生翌日、荒巻知事を本部長に「支援本部」を設けた。が、支援について防災計画に書かれていたのは、一行だけだった。
◆
東海地震の対策が進む中部地方は昨年十一月、中部圏広域応援協定を刷新した。変更のトップは「主たる応援県市の設定」だ。
「応援側はヘリと陸路で自前の情報収集をする。医療班や物資もいるのか、当座の応援でよいかも判断し、独自に動く」と、静岡県地震対策課の松本洋一主幹は話す。
発想は近畿と似ているが、被災地の要請を待たずに、応援側が自主的に活動を始める点が大きく違う。
「今までの協定は、県庁が被災する想定はなかった。阪神大震災をみて、県の情報集約がこれほど大変とは思わなかった。静岡でも同じことになるだろう」
救援をどうスムーズに行うか。
大震災で、奥尻地震を経験した北海道の横道孝弘知事(当時)は、翌々日の十九日に三人を被災地に送り込んでいる。寝袋、ワープロ持参で、リュックには奥尻地震の対応書類がぎっしり詰まっていた。
兵庫県庁の一角で、道庁職員は仮設住宅、見舞金、義援金などをこなす。「受け入れ側は、応援職員の宿舎の手当ても十分にできない」といった問題を配慮した派遣だった。
◆
応援協定がなかった近畿各府県は今、協定づくりを急ぐ。
滋賀県は、十一月の訓練参加者のアンケートをもとに成果や反省点をまとめ、京都府の長沢部長は「滋賀が被災した場合、京都も被害がないとは限らない。本当に調整役が果たせるか、考えておかなければならない」と指摘する。
職員が二次災害に巻き込まれた場合の補償問題、備蓄内容や支援能力の情報交換など検討課題は多い。
兵庫県は、協定から一歩進んで、近畿レベルの防災機構を提唱している。関係府県職員や専門家を含めた独立機関。米国・危機管理庁(FEMA)の近畿版のイメージである。
「日ごろからつながりがあれば、複数府県が被災しても機構で対応できる。情報も集められる」と県防災部の小西庸夫次長。設立には、人、カネ、場所が伴う。国との調整もある。まだ提唱の段階にとどまる。
しかし、と小西次長は続けた。「県としては震災の経験から、必要性を訴え続けていくしかない」
1996/1/20