街灯が冷えた道路を照らす。十七日午前五時すぎ、笹山幸俊神戸市長は迎えの職員の車で、神戸市灘区の公舎から灘消防署に向かった。同四十六分、消防職員ら三十数人と黙とう。短い訓示の後、赤色灯が回る消防署の車に乗り込んだ。
震災一年。市は未明の防災訓練を行った。災害時の市長、助役の登庁は、近くの消防署にまず入り、緊急車両で市役所に行くよう見直した。トップの指揮系統を維持するためだ。
六時五十分、市災害対策本部の本部員会議を開き、局長ら二十九人が出席した。「謙虚に学ぶのが私たちの務めだ。地震は予知できない。被害を最小限にするのが行政の務めではないか」と市長は話した。
◆
発生当日、本部会議が開かれたのは、約九時間後の午後三時である。「状況が見え始めてから会議を持った」と市幹部は言う。本部そのものは午前七時、市役所一階ロビーに置かれ、八時、八階会議室に移る。
「市民病院は大丈夫か」「道のがれきをどけろ」「スーパー開店を」。市長が、取り囲む幹部に確認を求め、指示を出す。そんな形で事態は動いた。
市の防災計画は、災害時の役割分担を決めている。本部会議が決め、本部員の局長が各組織を動かす。が、みぞうの震災は、マニュアル通りにいかない。「直後の業務は区役所、民生局に集中した」と市は言う。
亡くなった人の安置、被災者への食料配給、避難所設置など、「区役所へ」の要請で、開発、住宅局幹部らは、五人、十人単位で区役所へ走った。
「緊急時は、ピラミッド型組織は通用しない。トップが直接、個々に指示を出す平らな組織の方がよい」と、室崎益輝神戸大教授(都市防災)は話す。
指示を出す中枢と、被災者と向き合う現場。その二極が大事だとの指摘だ。
昨年九月七日早朝、神戸市は全市防災訓練を行った。十四年ぶりだった。
職員の招集と、情報収集に力点を置いた。「震度5以上で全員登庁」の基本は置いたうえで、十分の一の千八百人を緊急出動の要員に指定。交通機関途絶を想定し、三割は徒歩、自転車、バイクで出勤した。
対策本部直属の情報収集班二十人は、職員が途中で見た「被害」を集約した。民家、道路、橋など仮想の被害だが、それでも情報の集約に手間取った。
組織の役割の明確化▽配備体制▽災害対策本部、区役所のバックアップ機能整備…。
震災を教訓に、同市は組織の課題を列挙するが、具体化はこれからだ。
◆
震災以降、静岡市はマニュアルを見直し、職員配置を時系列で組み直した。
発生から三日間は現場に職員を集中し、四日目以降は徐々に本庁に引き揚げる。現場対応の徹底で、本庁の中枢機能を維持する意図も含まれる。
兵庫県は、知事直轄の審議員室を設け、宿直の二十四時間体制で知事と連絡に当たる。四月、新ポスト「防災監」を置く。「危機管理は迅速なトップ判断が必要。専門的立場から指揮命令の補助をする」と県は話す。
室崎教授は、神戸市防災会議地震対策部会長を務める。「教訓はまだまだ生かされていない」と被災自治体の組織見直しに手厳しい意見を述べた。
「被災者の意見を聞くのも、危機管理の原則だ。現場の権限を論議し、現場判断を優先させるシステムをもっと組み込むべきだ」
1996/1/18