「残業が落ち込んで手取り賃金がダウンしたまま。職場にもいまひとつ活気が戻ってこない」。神戸港の港湾荷役会社・日栄運輸の労組委員長、北代剛晴さんは、職場の今後が気掛かりだ。
事務所の窓から望む摩耶埠頭(まやふとう)は埋め立て工事の真っ最中。震災の傷跡が残るガタガタの道路は、工事車両とコンテナトレーラーで込み合っている。
同社が荷役を扱うコンテナターミナルは中国航路が中心。船数はほぼ震災前に戻った。「しかし、仕事量の回復はまだ約七割」と北代さん。従業員が減ったにもかかわらず、仕事の忙しさは上向かないという。
貿易統計ではこの五月、神戸港のコンテナ取扱量は、対九四年同月比で八五・一%になった。貿易額は九九・一%を記録した。
だが、「数字は楽観できるものではない」と神戸市や神戸税関は言う。コンテナ取扱量は全体として上向きだが、月別にみるとジグザグの歩みだ。貿易額も震災前水準に戻ったとはいうものの、大阪、横浜、名古屋など他港はこの間、数字を大きく伸ばした。機械、衣類、野菜など品目別の全国シェアは軒並みダウンした。
同税関調査統計課は「神戸のシェアが高かった繊維、衣類輸出入の他港シフトが尾を引いている。一部はよそで定着しているようだ」と分析する。
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「糸へんに強い港」と、神戸港は言われてきた。繊維問屋などが集中する大阪をはじめ、繊維加工業が集まる岐阜・名古屋などの貨物を握り、他港を圧倒していた。全国の輸出の六割、輸入の三割強は神戸港を経由した。
「震災後は名古屋港経由を増やした」という名古屋の繊維専門商社・海外業務責任者はシフトの理由をこう説明した。
「在庫をできるだけ抱えないよう調整するため、中国船が頻繁に入港する神戸に頼らざるを得なかった。しかし震災で名古屋に寄る船が増え、直接持ってくることが可能になった。神戸で荷揚げする輸入衣類は四割近くあったが、今では三割を切っている」
神戸税関によると、「糸へん」とともに、神戸港の全国シェアが高かった野菜のうち、七割以上のシェアを占めたニンニクは、東京、横浜などにシフトが進み、約三割ダウンしている。
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震災後、四国の松山と台湾・高雄、小松島と韓国・釜山を結ぶ航路などが新設された。神戸港が中継港として扱ってきた貨物が直接、海外に流れていることを意味し、神戸市港湾整備局は「量ははっきりしないが、釜山などにも奪われているのは事実だ」と認める。
この春、港でこんなうわさが流れた。「米国から釜山経由で神戸にくる貨物が、釜山で積み替える際、間違って新潟へ運ばれ、そのままロシアに行ってしまった」。話は釜山への神戸港の対抗心を物語っている。
今年一月、日本郵船や大阪商船三井の各グループが、北米・欧州と中国・上海を直接結ぶ航路を開設したことも懸念材料だ。
埠頭そのものの復旧は順調に進み、来春にすべて完成する。それに先立ち九月末、阪神高速道路が全線開通する。「後背地と直結する道路の完成が、今後の貨物の動向を占う」と港湾関係者らは期待する。
しかし、震災後の「空白期間」に動いた物流は元に戻せるだろうか。危機感を募らせるミナトの官庁、業界、組合がこの五月に発足させたのが、神戸港復興推進協議会だった。
1996/7/11