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(11)心 専門家へ期待 どこまで
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「『心の専門家』はいらない」

 三年前、刺激的なタイトルの新書が注目を集めた。

 著者は、心理治療の現場を経験し、臨床心理学を問い続ける小沢牧子さん。阪神・淡路大震災後、急速に広がった「心のケア」に疑問を投げ掛けた。

 「大切なのは現実の生活に即した援助。『心のケア』という漠然とした言葉で、その事実が隠されてしまう」

 小沢さんは言う。地震の後、子どもがおびえるのは当たり前のこと。親が思い切り抱き締めてやればいい。学校で子どもたちの状況を一番よく知っているのは、先生たち。“専門家”のスクールカウンセラーではない-と。

 専門家への依存が、日常の人と人との関係や、そこに息づく知恵を薄れさせる。「日常の復権を」。著書でそう呼び掛ける。

 阪神・淡路大震災復興基金を活用し、被災地に「こころのケアセンター」が開設されたのは、震災の五カ月後だった。十五カ所の地域拠点を置き、仮設住宅の訪問や電話相談を続けた。

 精神科医でさえ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉を知らない人がいた十年前。センターのスタッフも、ソーシャルワーカーや看護師など職業はさまざまだった。

 「心のケアでおなかは膨れない」。そう言う被災者も多かった。スタッフはただ相手の話に耳を傾け、ストレスを吐き出してもらうことを目指した。

 精神科医として、センターの運営にかかわった加藤寛医師はいう。「心のケアは、生活支援と組み合わせるもの。単独では意味がない。被災者もきちんと現実を見ていて、心のケアに過度の期待は抱いていない」

 センターの経験を受け継ぎ、昨年、PTSDの研究、治療を行う全国初の専門機関「兵庫県こころのケアセンター」(神戸市)がオープンした。

 「心のケア」はやはり必要なのだろうか-。研究部長を務める加藤医師に尋ねてみた。

 「数パーセントだが、災害の影響が強く残る人がいる。関心を持って継続的に見る専門家がいなければ、そういう人々が見落とされてしまう」

 「過度の期待」はメディアの影響もあるのではないか、と指摘した。

 深刻な喪失体験に、人はどう向き合っていくのか。

 自宅と工場が全焼し、夫の盛泰さん=当時(52)=を亡くした神戸市須磨区の安藤衣子さん(60)は、「書く」という作業で対峙(たいじ)してきた。

 ボランティア団体「阪神大震災を記録しつづける会」が毎年公募する手記に、思いをつづった。最後の発行となった今年の手記集では、こう書いた。

 《主人のため、供養のためと思いながら書きましたが、十年目で、自分が癒やされていたことに気付きました》

 夫の死が悔しかった。一人きりで歩む人生に不安が募った。加古郡稲美町や明石市などを転々とした。自宅の再建は震災四年後。それでも喜びはなかった。気持ちは前に行ったり戻ったり。そんな日々を年一回、文章にした。

 「書きながら主人と対話をした。原稿ができたら、『こんなん書けたよ』と仏前にお供えしてきました」

 七回忌あたりから、夫の夢を見ることが少なくなった。今、十年間の自分の変遷を見つめられるのは、手記のおかげだという。

 「心のケア」が意味するものは何なのか。小学校の復興担当教員として子どもに接し、新潟県中越地震でも現地に入った兵庫県教委の伊藤進二指導主事がいう。「十年たっても、分からないことばかり。けれど大切なことが一つ。とにかく『待つ』こと」

 何十年たっても、常に扉を開いている場所がある-。体験を書き、語り合う場がある-。そんなゆったりとした時の流れを、被災者は求めている。

2005/1/13

 

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