絆創膏(ばんそうこう)だらけの指。昨年大みそかの夕方、配送のアルバイト先から帰宅した男性(56)を訪ねた。疲れているそぶりもみせず、正座で迎えてくれた。
この日まで一カ月、睡眠時間も惜しんで一日も休まず働いた。家族は体を心配したが、正業に就けない自分への「戒め」だと言う。年明けからの仕事はまだ決まっていない。
阪神・淡路大震災で神戸市内の勤務先は全焼した。退職金は出なかった。同市灘区の自宅は、隣の妻の実家とともに全壊した。仮設住宅の抽選は外れ続けた。義援金二十四万円と自立支援金百万円は、生活費に消えた。
アルバイト生活は、震災の二年半後から続いている。自宅の再建で背負った三十年ローンを息子とともに返済している。保険のたぐいは解約した。貯金はあと二年もてばいいほうか。
震災がなければ、自分たちの暮らしがこんなにもろいものだと気付かずにいた。しかし、震災がなくても、同じように職探しに走り回る自分が想像できる。パソコンができるかどうかで振り分けられ、汗をかく仕事しかできない人間は安い賃金で使われる。「体力も仕事の質も若い人に負けない」。そんな自信さえ、機会が与えられないまま薄れていく。
不安を口にする妻に、こう言い聞かせている。「悪いことは何もしてない。まじめに生きていたら、きっといいことがある。そう信じていようよ」
被災者への支援策は所得や年齢によって線引きされ、中間所得層の多くは対象から漏れた。震災前に送っていた「それなりの生活」は崩れ、復興の道のりが分かれた。
日本人の七割が、災害などの非常時に、住宅や仕事といった生活基盤を奪われる可能性がある「傷つきやすい」人々だという。関西学院大学の高坂健次教授(社会学)らが最近発表した仮説だ。社会学者らが一九九五年に全国で調べた所得と財産のデータを分析し、総資産五千万円を境界線とした。
震災後、私たちは幾度となく、「被害の階層性」という言葉を耳にした。ダメージから回復できる人とできない人、「持てるもの」と「持たざるもの」。その差は震災でより鮮明になり、時間とともに広がっているのではないだろうか。
師走の神戸・三宮。冷たい雨の中、ある「追悼式」が開かれた。震災直後から野宿生活者の支援活動を続ける「神戸の冬を支える会」が主催した。この十年間で同会が何らかのかかわりを持ちながら命を落とした野宿生活者は百六十人。分かる限りの名前と、いつ、どこで、なぜ死んだのかを書いたカードを板に張り、花が供えられた。
失業、借金、倒産。野宿生活を始めた事情はさまざまだが、相談に来る人は一様に「まさか自分が」と語るという。一直線に野宿に至るのが最近のパターン。日雇い労働などの“クッション”さえなくなっている。
かつて「一億総中流」といわれた日本で、生活保護受給者が急増している。厚生労働省は、一九五〇年に施行した生活保護法の見直しを検討し始めた。神戸市は大阪、札幌などと並び、受給者の増加が著しい地域だ。一方で、ITビジネスの成功者たちが脚光を浴び、都心の高級マンションに人気が集まる。
敗者を出さない「平等神話」は、神通力を失った。
高坂教授らの調査には、「どんな人が地位や経済的豊かさを得るのがいいか」という設問もあった。実績を上げた人、努力した人ほど多く得るのが望ましいという答えが、合わせて八割に達した。
私たちは、誰もが敗者になり得るいばらの道に立つ。競争の仕掛けは張り巡らされたが、立ち直ろうとする人が力を蓄える仕組みは整っていない。
復興の歩みはそのただ中にある。
2005/1/4