「復興の取り組みをこれだけ膨大な規模で検証した例は世界のどこにもない。豊かな内容になった」
昨年十二月二十五日、兵庫県の復興十年委員会で、座長を務めた新野幸次郎・神戸都市問題研究所理事長はこう締めくくった。
記者席には厚さ七センチのファイルとCD-Rが配られた。六分野五十四テーマにわたる検証報告と四百五十九項目の提言。復興を支える法整備、中堅層への経済的支援、自立を促す支援策の一括提示など、この十年間、被災者が苦しみ、自治体がぶつかった課題が盛り込まれた。少しずつ動いたものもあれば、いまだに崩れない壁もある。
重要なのは、提言をまとめることではなく、実際にそれが世代を超えて共有されることだとうたう。
そこに異論を挟む余地はない。しかし資料をめくりながら、考え込んでしまった。何人がこの分厚い報告書に目を通すだろう。私たちはこの全容を、誰に、どう伝えればいいのだろうか。
阪神・淡路大震災十年を前に、県や神戸市は大々的な検証を実施した。「五年」以来の取り組みだった。
「できたこと、できなかったことを整理し、特に失敗の原因を洗い出す。それが次の災害では成功のカギになる」。県復興本部総括部の藤原雅人参事は検証に臨んだ姿勢をこう説明した。
「求めたのは客観的、多面的な評価」ともいうが、検証委員には、県の復興施策に何らかの形で関与した研究者、団体代表らが選ばれた。テーマごとに担当職員もついた。意図するしないにかかわらず、県の対応には総じて評価が高く、国への批判が強く出た。
一方の神戸市は、県に先立ち一年前に検証作業を終えた。「道筋の曲折を問い直すより、次の十年に向けてやるべきことを見極めることの方が、今の市民にとって意味があるのではないか」と、横山公一企画調整部長。
市の人口は震災十年を目前に回復し、四分の一は震災を知らない新住民に入れ替わった。長屋や木造アパートはマンションに姿を変え、居住水準は他都市と比べても向上した。震災前の売上高に回復していない企業が76%に上るが、震災を主な理由に挙げる企業は4%にとどまる。
統計からは、震災の影響が読み取りにくくなった。神戸の今は「震災よりも全国的・構造的課題の影響が大きい」と総括された。
こうした検証は将来、被災地の“総意”として受け継がれていくだろう。しかし、そこからこぼれてしまう被災者の思いもある。
「今日から私らホームレス」-。神戸市が避難所解消を宣言した日、落ち着き先が決まらず、テント生活を続けていた女性。避難生活は続くのに、法的には何の裏付けもなくなった。
「入居するまでは至れり尽くせりだった。結局、仮設住宅から追い出したかっただけ」-。仕事がなくなって復興住宅の家賃滞納が続き、今は野宿生活を送る男性がいる。
「行政好みの街になったなあ」-。再開発事業がほぼ完成した神戸市灘区のJR六甲道駅南地区。自宅を失い、市営住宅に移った男性が言った。
県の調査では、一昨年の段階で「自分が被災者だと意識しなくなった」という人は八割を超えた。被災者の中でも進む分化。多数の声に収れんされる公的資料には残らない「二割」のため息を、私たちはどうにかして伝え続けていきたいと思う。
《安全で安心な共生社会》《市民もまちもいきいき輝く 豊かさ創造都市》-。検証結果をもとに、県と神戸市は、目指す街の姿をこう掲げた。
被災の重みが感じられない言葉で示された、この街の未来。十年を「区切り」としてしまえば、二割の声はこのまま消えてしまいかねない。
2005/1/7