物心つくころに両親が離婚し、母は家を出た。母親代わりになって、小林庸人(のぶひと)(47)=西宮市=を一人前に育て上げたのが祖母ゆきゑだ。
食卓では魚の骨を全部取り除いてくれたり、庸人だけ特別に好物のハンバーグを用意してくれたり。お風呂は小学4年のころまで一緒に入っていた。なんでも「はい、はい」と聞いてくれた。
あの日までは、元気な「ばあちゃん」だった。
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「大丈夫や。でも動かれへん」
20年前。夫婦で暮らしていた近くのマンションから実家に駆け付けた庸人に、ゆきゑは悲鳴を上げた。揺れに驚いて、布団の上で腰が抜けてしまっていた。
何日たっても動けるようにならず、2月に入院。そのまま衰弱し、同月11日、息を引き取った。最期に庸人の手を握り返した。86歳だった。
こんな形で死ぬなんて。ばあちゃんは“鉄人”やと思っとったのに。血管が切れるくらい泣いた。
ゆきゑは6人の子を産み、孫は9人。庸人だけでなく、他の孫たちもまとめてよく面倒を見た。
朝まだ暗いうちから起き出して一日中、立ち働いた。手の皮が厚く、焼いた餅も平気で取った。孫たちはそんなゆきゑを慕い、結婚が決まると親より先に相手を紹介した。
全壊した家には、ゆきゑと父が住んでいた。長男として、父を独りで放ってはおけない。妻は同居を渋ったが翌年、再建した実家に戻った。
すると驚いたことに、幼いころに別れた母も帰ってきた。
また籍を入れた両親とは逆に、庸人は離婚。2000年には仕事も辞めた。
約1年後に再就職してからは、〈心のグラフ〉も上昇し始めるが、06年に父を、08年に母を相次いで亡くしたことでしばらく浮き沈みが続く。
特に父は亡くなる間際、酒に溺れるようになり、周囲を振り回した。複数のカード会社からの借り入れも判明し、庸人は返済に追われた。
「再建した家のローンもあるのに、どうすんねんって感じ。生きるのに必死やった」
そんな日々を共に歩んできてくれた由美子(45)と、12年に再婚。庸人が10代のころ、気に入らない交際相手の写真立てを倒したこともあったゆきゑだが「今の嫁さんはサバサバしとるし、気に入るんちゃうかな」。
ようやく平穏な暮らしを手にした庸人。最近のグラフは上向いている。
昨年12月中旬。西宮市内の小さな墓地に庸人の姿があった。「うち、みんな飲むんですわ」。にやりと笑うと、缶ビールがずらりと並ぶ墓石を指さした。
大好きだった祖母、葛藤のあった父と母。まあ、ゆっくり飲んでくれよ。墓の前に腰を下ろした表情は、柔らかかった。
=敬称略=
(黒川裕生)
2015/1/8