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店の作業台で腕時計を点検する山田勝己さん=芦屋市大桝町(撮影・山崎 竜)
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店の作業台で腕時計を点検する山田勝己さん=芦屋市大桝町(撮影・山崎 竜)

  • 店の作業台で腕時計を点検する山田勝己さん=芦屋市大桝町(撮影・山崎 竜)

店の作業台で腕時計を点検する山田勝己さん=芦屋市大桝町(撮影・山崎 竜)

店の作業台で腕時計を点検する山田勝己さん=芦屋市大桝町(撮影・山崎 竜)

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 山田勝己(かつみ)(74)=芦屋市=の胸には、20年たった今も激しい悔恨が渦巻いている。

 「あのとき、息を引き取ろうとしている母になんて言うたか分かる? 『せっかく助けたのに勝手に死にやがって』って大声で言うたんや」

 不意に涙があふれ出る。あかんな、いらんことを…。自分に言い聞かせるようにつぶやきながら立ち上がり、涙を拭った。

 「こんな年でも親のことを考えると、あかん。悲しみはなかなか消えんもんですな」

 震災までは、商売も生活も順調だった。1963年、芦屋市内の商店街に宝飾店を開業。70~80年代には売り上げが8千万円を超えた年もある。

 一日で無になった。

 店舗兼住宅は全壊。近くの実家もつぶれ、両親が生き埋めになった。駆け付けたとき、父=当時(86)=はすでに亡くなっていた。母は、がれきの下からどうにか助け出した。だが、しばらくして「しんどい、もう死ぬ」と急速に弱っていき、息絶えた。

 勝己が思わず浴びせた言葉は耳に届いたのかどうか。79歳。歩数計を付けて毎朝歩いていた。百まで生きると思っていた。

 仮設店舗で営業を再開した勝己が最初の異変に襲われたのは、60歳のときだ。

 朝、食事をしていると、目の前がぐらりと揺れた。テレビが見えなくなり、電話の子機がマッチ箱くらいの大きさに縮んだ。脳梗塞だった。

 2回目は62歳。突然よだれが止まらなくなった。仕事の電話をかけても、「もしもし」が出てこない。3回目、66歳。朝起きると右の手足がぶるぶると震えていた。

 〈心のグラフ〉ではいずれも「全快」と簡潔に記した。それでも3回目はさすがにこたえた。

 「退院してもしんどくて。生きる自信もなくなった」

 5キロ痩せて体調が戻り、釣りや山登りにも行ける程度には回復した。半面、グラフは下降を続ける。商売不振の波が押し寄せていた。

 「震災後、宝石にお金を使う人が激減した」。勝己の主義は一貫している。絶対ええもんを売る。だが買う人がいなければどうしようもない。「今の売り上げ? 恥ずかしくてよう言わんわ」

 腕時計の電池交換や修理を格安で請け負い、こつこつとこなす。ボーッとしていたらあかん。せめて人に喜んでもらえることがしたい。

 勝己にはもうひとつの顔がある。「芦屋川に魚を増やそう会」の副会長。震災前から環境美化に取り組み、地元の小学生に、川魚の生態や自然を守る大切さを説く。

 「山田先生、ありがとうございました」

 勝己の手元には、子どもたちがつづった作文が大切に保管されている。「死んだら、これと一緒に煙になりたいな」。冗談とも本気ともつかないことを言ってほほ笑んだ。一つの悔いを胸に秘めて。

=敬称略=

(黒川裕生)

2015/1/10
 

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