明石

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県立明石公園で、スケッチブックを手に震災当時を振り返る伊藤太一さん=明石市明石公園
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県立明石公園で、スケッチブックを手に震災当時を振り返る伊藤太一さん=明石市明石公園

 兵庫・明石の風景を独自の画法で描いてきた彫画家、伊藤太一さん(86)。阪神・淡路大震災では、自ら被災しながらも地元や神戸、淡路島を歩き、変わり果てたまちを描き残していました。あれから27年。当時の手帳に記したスケッチやメモ、写真を頼りに、太一さんの記憶の中の情景を一緒にたどってみたいと思います。まずは当時の思い出に耳を傾けます。(聞き手・松本寿美子)

 阪神・淡路大震災が起きた1週間後、ある全国紙の記者から電話があり、私に被災した現場を歩いてくれという。絵と文章が欲しいと。

 神戸・三宮に入り、本当によく歩きました。柱や物がブスブスと音を立て、繁華街に並んだタクシーはぺしゃんこでした。亡くなった人もおられたのかもしれません。東灘区では酒蔵が目にも哀れ。大きな樽(たる)はぺしゃんこになり、あっちへこっちへ転んでいました。とにかく現場を見なければと、ひたすら歩きました。

     ◇

 わが家のライフラインは止まり、復旧まで10日ほどかかったでしょうか。世の中の絵描きなんて、何の役に立つのかと思いました。「こんなもん要らんわ」と、画材を捨ててしまおうかとも思いました。

 でも依頼があってから無我夢中で描きました。この仕事をはかなむ一方、言葉は悪いですが、絵描き屋特有の気質が頭をもたげたわけです。この道の先はどうなっているのかという。

 震災時からケント紙をしまっていた本棚は今も使っています。扉のガラスは割れたので抜けたまま。ガタガタでメモをたくさん貼り付けて、見たらぞっとする姿ですが、愛着が湧いてかえって大事にしています。

     ◇

 これまでの人生で2度の空襲、2度の大地震に遭いました。太平洋戦争中、学校帰りに神戸・和田岬でB29の爆撃に遭い、疎開先の徳島では目の前に焼夷(しょうい)弾が降った。水をはった堀に飛び込み、助かりました。

 終戦翌年の1946年12月21日午前4時19分の昭和南海地震です。徳島の田舎の農家がものすごく揺れ、はだしで高い石垣を飛び降り、庭先のトイレに逃げました。たまたま乾電池のランプがあり、助かりました。あれがなければ何も見えなかった。今も懐中電灯は必ず手元に持っています。

 阪神・淡路と季節も時間帯も似ていて、見えない生き物がいるんじゃないかと思えてきます。最近は和歌山・紀伊水道で小さな地震が頻発しているのが気になっています。

     ◇

 さてこの度、再び阪神・淡路大震災当時の被災地を描いてくれと言われました。当時の出来事は手帳にこまめにメモし、写真も撮ってありますから、思い起こすことに難はありません。ただ、あまり深刻には描かないでおこうと。いろんな体験をされ、しんどくなる方もあるかもしれませんから。

 おそらく僕がこうしてペラペラと話している中にも、何かはあると思う。連載からそれを見いだし、現代を生きる知恵に使ってくださればありがたいです。

【いとう・たいち】1935(昭和10)年生まれ、神戸市出身。ペンを使わずナイフを使って絵を描く「彫画」という独自の作画法を編み出し、明石の風景を中心に新聞・雑誌で多くの作品を発表している。明石市在住。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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