8作目となる映画「道草キッチン」について語る白羽弥仁監督=丹波市内
8作目となる映画「道草キッチン」について語る白羽弥仁監督=丹波市内

 書籍と映画とテレビCM、そして新人アイドルの登用…。それまでの日本映画とは桁違いの大予算をかけた、メディアミックスという大胆な手法の角川映画がもてはやされた1980年代。その功罪はともかく、まるでそんな時代の終焉(しゅうえん)を予測していたかのように、映画監督・白羽弥仁は、時代に静かな反旗を掲げてデビューを果たした。まるで湖に小石を投げ込んだときの波紋のように、繊細に人の心を描く。その手法はどうやって生まれたのか。作風誕生までの道のりを聞いた。

■強烈な敗北感

 高2の時ですかね、ぴあフィルムフェスティバルに自分の作品を応募して落選したんです。自分ではいい線行ってると思っていた自信作だったんですよ。その後、入賞作品を関西で上映する機会があったので、悔しさもあって見に行ったんです。その時、同じ高校生で入選した犬童一心さんの「気分を変えて?」を見て「こりゃ勝てない、東京にはまるでオーソン・ウェルズみたいなすごい天才がいるんだ」って衝撃を受けたんです。本当に打ちのめされました。でも、この強烈な敗北感が、自分にとって良かったのかもしれません。映画を撮りたい、プロの映画監督になりたいという思いはありました。でも同じ手法では先人の天才たちには勝てない。自分の目指す自分の手法を見つけないといけないと、真剣に考える機会になりました。