「コロナ禍での五輪開催をどう思いますか」
そう聞くと、部屋が一瞬、静まり返った。6日午後、兵庫県宝塚市役所3階の特別会議室。場違いな質問をしたかとも思ったが、やはり聞かずにはいられない。
宝塚で生まれ育った東京五輪の飛び込み男子代表、寺内健選手(40)が、出場への思いを市長に伝える会見で目の前に座っている。マスクで表情は読み取れないが、冒頭の質問をすると、少し背筋を伸ばして、真剣な目でこう答えた。
「正直、開催していいのか、自分も分かりません」
寺内選手は2020年8月、新型コロナに感染した。味覚と嗅覚に後遺症が出て、練習再開にも時間がかかった。入院中には逼迫した医療現場を目の当たりにし、五輪を開催すれば感染が再拡大する危機も感じたという。しかし、思いとは別に、開幕へのカウントダウンは刻一刻と進む。
記者とのやり取りの中で、毎月初めに清荒神で願掛けをしているという地元愛を披露した。「今月1日には『いい結果を出せるように頑張ります』と自分の中で決意表明をしました」と、不安を抱えながらも出場する覚悟を明かした。
30年の競技人生で6度目の五輪。飛び込み界のレジェンドにとってそれは、待ち望んだ初めての自国開催とはいえ、歴史上、誰一人として経験したことのないコロナ禍での五輪なのだ。
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その4日前、市役所から会見の広報資料が届いていた。阪神間ゆかりの五輪代表選手は県内46人の半数超を占める。市長への表敬は当時、寺内選手が阪神間で初めてだったこともあり、資料を手にして思った。
楽しみだけど、でもなぁ。やっぱり、五輪はするんだな…。
7月の世論調査で、中止を求める人は世界で6割に迫り、国内では約8割に上った。なのに「開催します」の一言はないまま、準備だけが粛々と進んでいる。
宝塚市も同じようにモヤモヤしているようだった。「1カ月を切ってさすがに中止はないですもんね」と職員は苦笑いしつつ、いざ会見の時が近づくと、報道対応はドタバタとなった。
著名人の表敬には本来、市長室が使われるが、市が二転三転して広い特別会議室に変えたのは「密」を避けるためだ。そこで市長と寺内選手を巨大な円卓の対角線上に座らせ、2メートル以上の距離を取ろうとすると、報道陣から注文が付いた。
「それじゃあ、ツーショットが撮れないですよ」
職員は「ちょっと(関係部署に)確認してきます」と部屋を慌ただしく出入りする。出身選手を強くアピールしたいと願いながら、それ以上に「絶対に危険な目に遭わせられない」という責任感も伝わってくる。
市長と記者からの質問にハキハキと答える寺内選手。その横で、司会の男性職員は汗をかきながら引きつった笑みを浮かべていた。
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寺内選手が言った。
「開催するからには、国内の感染対策とおもてなしを先導したい。そして、世界の選手たちと力を合わせ、コロナ禍を乗り越えることを発信したい」
それは選手側からの強烈なメッセージに聞こえた。
すると「そろそろ時間が…」と市職員。会見がわずか10分弱で終わろうとすると、戸惑う記者らを見かねて寺内選手が「もうちょっとやりましょう。僕は大丈夫なので」と声を掛けた。
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あの会見から10日余り過ぎた17日、この記事を出すことにした。執筆中に東京へ4回目の緊急事態宣言が発令され、大半の競技会場が無観客と決まった。刻々と情勢が変わる中、前代未聞の祭典に臨む関係者の今を追いかけたい。
開幕まで、あと6日。(村上貴浩)