2020年末、武庫川女子大学(兵庫県西宮市)で学生アスリートの支援を担う職員、川手一兵さん(38)は、自宅で何気なくユーチューブを見ていると、ある動画に思わず手を止めた。
「あ・り・が・と・う・!」。車両の側面いっぱいにそう書いた新幹線が走ってくるのを、たくさんの人が沿道で手を振って歓迎している。田んぼから、ビル屋上から、歩道橋から…。
10年前、JR九州が「九州新幹線」の全線開通時に作ったCM。
「これだ、と思った」
武庫女では既に飛び込み女子の荒井祭里選手(20)が五輪代表に内定。体操女子の杉原愛子選手(21)も有力候補に挙がっていた。
しかし、どうエールを送るか…。CMは、人々が全力で開通を祝っている。それを見ながら、当然あったであろうそれまでの曲折を思い、どこかコロナ禍の五輪に重なる気がした。
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この連載をする中、読者から「五輪関係者たちの葛藤を、なぜこんな直前まで出し惜しみしていたのか」という声を聞いた。
正直、私たちも開催の是非に世論が割れる中で書きあぐねていた。武庫女が抱える悩みは、それ以上かもしれない。
水泳7、野球6、バレーボール3、陸上2、テニス2、ソフトボール1、バスケットボール1、サッカー1、体操1、柔道1、ラグビー1、セーリング1。
これはようやく出そろった阪神間ゆかりの五輪代表選手27人の内訳だ。県内46人の6割を占め、武庫女は在校生2人を輩出するという史上初の快挙となる。
しかし、川手さんが学内会議で五輪アピールの予算確保を提案すると、「開催を手放しで肯定することはできない」。それが大学本部の公式見解だった。
妙案を出しあぐねる中で思い付いたのが、冒頭の動画だ。個別に相談した幹部が言ってくれた。「やっぱり何かした方がいいよね」
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何度も空中で回転しつつ、しぶきを上げずに入水する美しさで知られる荒井選手。平均台で片足を高く持ち上げ、コマのように2回転するE難度の「スギハラ」が武器の杉原選手。
遠い存在に思える2人だが、家族の弁当作りや送迎に支えられ、激しい練習をこなしつつ講義の出席も欠かさない。川手さんは等身大の姿を知るにつれて、こう思うようになった。
「選手の日々は、まさに命を削るよう。それを知ったら『感染リスクがあるから応援もやめろ』とは絶対に言えなくなった」
構想から7カ月が過ぎた今月16日、満を持して動画を公開した。
「祭里、ファイト!」「愛子! 笑顔で! 美しく! 思いを込めて!」。たくさんのクラブの学生やゼミ仲間が次々に登場し、手を振ったり、ポーズを取ったりしてエールを送る。
20日にはキャンパス内に2人の内定を伝える横断幕も取り付けた。
21日には五輪開幕に先立ち、ソフトボールの競技が始まった。気付けば、筆を置いてテレビに向かい、声援を送っていた。
五輪は、あす開幕。(村上貴浩)