地域でそれぞれ確かな存在感を示しながら、今は姿を消した「旧名所」があります。
古くから都市部として発展し、多くの人や物を集めてきた阪神地域はその宝庫です。人気だった娯楽施設や、生活の中のランドマークに加え、先の戦争の記憶も…。
その面影と時代の空気を探して歩きました。(2020年8月の連載から=肩書、年齢は当時)
■大阪ガスのタンク 尼崎市内で一番の「ノッポ」 エネルギー移り変わり解体
昭和中期から平成の初めごろにかけて、尼崎市内で最も「ノッポ」と呼ばれ親しまれた建造物がある。
それは阪神電鉄尼崎駅近く、大阪ガス尼崎工場(当時)=同市東難波町5=のガスタンクだ。市街地の真っただ中で突き出すように「鎮座」していた巨大タンクは「尼崎のランドマーク」と称され、工都・尼崎の象徴でもあった。
ガスタンクは高度経済成長期の1960(昭和35)年8月に建設された。一帯にあったガスタンクとしては4代目とされ、初めて無水式を取り入れた。
高さ約80メートル、直径は約45メートルで、容量は10万平方メートル。同市と近隣地域の一般家庭へのガス供給を担い、当時の2千~3千世帯が約1カ月使用できる容量だった。写真からは円筒形に見えるが、正しくは正二十角柱なのだという。
「今ほど高いビルやマンションもなく、ガスタンクが目の前にどん、と迫ってくる印象」。尼崎市立地域研究史料館の中村光夫さん(71)は当時をこう振り返る。
尼崎にまつわる写真や資料にはガスタンクが必ず入り込んでいるため「ガスタンクは方角や場所の目安にぴったりだった」。当時の記事にも「伊丹空港発着の飛行機からよく見える」「武庫川を越えるとすぐ目に飛び込む」と表現されており、存在感の大きさが際立つ。
60~70年代の尼崎は、阪神工業地帯の主要都市として高度成長を支えた一方、都市部の騒音や大気汚染などの公害問題も深刻化していた。そのため69年には、市と県が第1次公害防止協定(大気汚染防止協定)を締結。73年には、市が「尼崎市民の環境をまもる条例」を施行するなど、手厚い環境行政にかじを切った。
この時期、ガスタンクは一つの節目を迎える。79年、尼崎青年会議所の提言により、ガスタンクの側面に当時の市のシンボルマークが描かれた。色もこれまでの灰色から黄緑色変わり、明るい印象を持たせた。
同史料館の辻川敦さん(60)は「市のイメージを『公害』から『健康福祉』に変えるのは簡単ではなかった。市民の一体感やプラスのイメージを持ってもらおうという意気込みの表れ」とする。
石炭ガスから天然ガスへ転換する時代の移り変わりを受け、石炭ガスの製造は1990(平成2)年3月に停止。ガスタンクは、老朽化と景観上の理由で93年から解体工事が始まり、翌年には姿を消した。
ガスタンクの跡地近くにある市総合文化センター(同市昭和通2)から見下ろすと、今でも大阪ガスの敷地内にぽっかり空いた更地の場所が広がる。
駅前の空、今では数十メートル級の高層マンションや商業施設が林立する。その壁面に絵が描けたら…。少しばかりワクワクした。

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