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再開発されたばかりの阪急塚口駅前。買い物客でにぎわい、観覧車も見える=いずれも1979(昭和54)年以前の撮影(尼崎市立地域研究史料館提供)
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再開発されたばかりの阪急塚口駅前。買い物客でにぎわい、観覧車も見える=いずれも1979(昭和54)年以前の撮影(尼崎市立地域研究史料館提供)
2007年1月に撮影された、すでに閉店していた塚口さんさんタウン屋上遊園地の観覧車=尼崎市南塚口町2(尼崎南部再生研究室提供)
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2007年1月に撮影された、すでに閉店していた塚口さんさんタウン屋上遊園地の観覧車=尼崎市南塚口町2(尼崎南部再生研究室提供)
オープン当初のさんさんタウン周辺。中央の3施設のうち、右側の建物が現在解体している3番館
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オープン当初のさんさんタウン周辺。中央の3施設のうち、右側の建物が現在解体している3番館

 地域でそれぞれ確かな存在感を示しながら、今は姿を消した「旧名所」があります。

 古くから都市部として発展し、多くの人や物を集めてきた阪神地域はその宝庫です。人気だった娯楽施設や、生活の中のランドマークに加え、先の戦争の記憶も…。

 その面影と時代の空気を探して歩きました。(2020年8月の連載から=肩書、年齢は当時)

■塚口さんさんタウンの観覧車 ビルの屋上は「別世界

 かつて、尼崎市の商業施設「塚口さんさんタウン」(南塚口町2)の屋上に観覧車があった。大阪・梅田の複合商業ビル「HEP FIVE(ヘップファイブ)」の屋上観覧車より、はるか以前。今はなき、さんさんタウン3番館の屋上遊園地に高さ約20メートルの観覧車がたたずみ、家族連れもカップルも、友達同士もふらっと立ち寄った。約10年前に撤去され、今は見上げる空に観覧車の姿はないが、多くの人の胸に思い出は刻まれている。

 さんさんタウンは、尼崎出身のお笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんもテレビ番組で、高校時代に過ごした思い出を語っていた。開業したのは1978(昭和53)年。現存する1、2番館と閉店した3番館の計3棟が阪急塚口駅の南側に建てられた。

 「平成」が始まる前、駅前再開発の先駆けだった。尼崎市市街地整備課の松崎純治課長は「全国的にも早い時期に行われた大規模な再開発で、画期的だった」という。

 開業後まもなく、屋上に遊園地が完成した。現在、遊園地の運営会社は廃業。3番館で営業していた店主や常連客らに聞くと、当時は観覧車のほか、ゲームセンターや動物型の乗り物があった。ヒーローショーや、夏には阪神タイガースの試合中継を見ながらのビアガーデンで盛り上がっていたという。

 さんさんタウンの近くに住み、いとこや祖父母とよく訪れたという小学校教諭の宇都亨(あきら)さん(37)=同市武庫之荘本町3=は「屋上に向かう黒い小さな螺旋(らせん)階段の先に観覧車が見えると、別世界への入り口のようでわくわくした。大きくはない観覧車だけど、屋上なので見晴らしがよかった。少し怖い気持ちを隠しながら乗っていた」と振り返る。

 ファッション、飲食、映画館-。1~3番館合わせて200以上の専門店があり、「梅田や神戸よりラフな服装で気楽に行ける」と客を集めたさんさんタウン。1日2~3万人が訪れ、駐車場に車を止めるのに3時間かかる時もあったという。オープン当初から、3番館の地下1階で和食店を営んでいた小笠原茂樹さん(66)は「『日曜日、ここに来るのが楽しみや』って言う人がいっぱいやった」と振り返る。

 バブル崩壊後、2000(平成12)年ごろから、市内だけでなく、西宮や伊丹市など近隣に大型商業施設が多く生まれた。そのあおりで遊園地から次第に人が減り、観覧車は維持管理コストもねん出できず、運転中止に。遊園地も閉園し、観覧車は08(同20)年に撤去されたという。

 3番館自体も、老朽化や空き店舗の増加で17(同29)年11月に閉館し、現在は解体作業中。解体直前には住民ら30人が集まり、館内を映像に撮り収めた。ムービー作成を手伝った2番館の塚口サンサン劇場営業部の戸村文彦さん(43)は「地域の人は建物はなくなっても、何か形で残したかったのでは」と話した。

 3番館跡地には22年11月2日、商業施設「ソコラ塚口クロス」が開業する。16階建て分譲マンションの地下1階~地上2階を商業部分とし「楽しく歩ける空間」を基調に、食品スーパー「イオンフードスタイル(AFS)」をはじめ、食品・雑貨店やクリニックなど27店舗が入る予定だ。

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