■燃える街、価値観揺さぶる
遠くに見える神戸・長田方面の街から煙が上がり、火がだんだんと燃え広がる。阪神・淡路大震災が起きた1995年1月17日。姫路市西二階町の出版社「金木犀舎(きんもくせいしゃ)」代表の浦谷さおりさん(51)は当時、神戸大学教育学部の3年生だった。避難した神戸市役所(同市中央区)の展望階から、その光景を無言で眺めるしかなかった。
所属する同大学美術部の展覧会が間近に迫り、中央区の木造アパート2階の自宅で徹夜して作品を描いていた。激しい揺れが収まり外に出ると、目の前のアパートは1階がつぶれていた。住人男性が下敷きになり亡くなったと後で聞いた。
姫路の実家で暮らす母が心配になり、近くの公衆電話の受話器を握った。「大丈夫なん」と尋ねると、眠たそうな声で「なんかテレビが落ちたぐらいやわあ」。無事を知って安心したと同時に、震度4だった姫路との危機感の差に戸惑ったのを覚えている。
しばらくすると、美術部の仲間が駆け付けてくれた。「市役所で弁当が早く配られるらしい」。そんな情報を耳にし、2人で歩いて向かった。道中は被災者が必死の形相で動き回り、コンビニの商品は溶けたアイスしか残っていなかった。