尼崎JR脱線事故で大破した1両目から22時間後に救出された「最後の生存者」の林浩輝さん(40)=大阪市西淀川区=と、兵庫県災害医療センター副センター長として事故現場での「がれきの下の医療」を統括した中山伸一さん(71)=現同センター顧問、順心神戸病院救急部長=が先月、神戸市内で約20年ぶりに再会し、事故後の歩みを語り合った。神戸新聞の対談企画に応じた。事故は、両脚を失った林さんの人生とともに、極限状況で活動した医療従事者の歩みを大きく変えていた。(田中伸明、金海隆至)


■発生22時間後の救出、両脚は切断
林さんと中山さんは先月25日、神戸新聞本社で再会するとがっちりと握手した。中山さんは「いつ心臓が止まってもおかしくない状況だった。元気な姿を見られてうれしい」と話した。
事故後の林さんは「生かされた意味」を自らに問い続けてきた。

当時は大学2年。1年近くに及んだ入院中もリポートを書いて単位を取り、留年せず卒業した。大手企業への就職も健常者と同じ条件。取材にも積極的に応じ、体験を伝えた。
しかし、車いすでの営業は過酷だった。2013年に障害者に配慮した特例子会社に転職したが、管理職として多くの部下を動かす重圧がのしかかった。
数年前から職場で意識を失うようになる。診断は後天性のてんかん。運転中に発作を起こす可能性があり、貴重な足の乗用車を使えなくなった。昨年末、退職を余儀なくされた。
林さんは「山あり谷ありで大変だった。これからもいろいろあると思います」と言って笑った。


■がれきの下治療、寄り添う意味継承
中山さんは「私たち医療従事者は林さんに救われたんですよ」と打ち明けた。
事故の2年余り後、中山さんは災害派遣医療チーム(DMAT)の隊員養成研修に林さんを招き、体験を話してもらった。「一番うれしかったことは何ですか」と尋ねると、予想外の答えが返ってきた。
「手を握って励ましてくれたことです」

がれきが絡み合う現場で医療従事者らは無力感に打ちひしがれた。神戸市消防局の救急救命士片山朗さん(54)=現東灘消防署救急係長=もその一人。中山さんらと交代で手を握り「頑張れ」と励ましたが、「ほかにもっとできることがあったはずだ」と自らを責め続けた。林さんの言葉は一筋の光明だったという。
中山さんは災害医療の研修などでその言葉を伝え続ける。「林さんから教わった寄り添うことの意味は確実に引き継がれています」。片山さんも指導救命士として教訓の継承を目指す。
林さんは「僕の言葉が役立ったのは率直にうれしい」とうなずいた。
この春、林さんは新しい会社で働き始めた。中山さんとの再会で見つめ直した原点を糧にするつもりだ。


【尼崎JR脱線事故】2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間で、宝塚発同志社前行き快速電車(7両編成)が脱線し線路脇のマンションに衝突した。乗客106人と運転士が死亡、493人が重軽傷(神戸地検調べ)を負った。電車は制限時速70キロを大きく超える116キロで右カーブに進入。1両目は左側に横転したままマンション1階の機械式駐車場奥の壁にぶつかり、後続車両に押しつぶされた。2両目はマンション外壁に巻き付くように大破した。死者の9割超が1、2両目に集中。頭などを損傷したり、狭い空間に折り重なって窒息したりして亡くなった。
























