「悪い思い出しかない」。兵庫県川西市の会社員、下野縫子さん(48)は、2023年6月に84歳で亡くなった母のことをそう話す。1年半後、母の住んでいた同市のマンションで、業者の手を入れて遺品整理をした。全部捨てようと決めていたが、思わず手を止めたのは、数百枚あった写真の中の1枚だった。=全2回の2回目=(斉藤正志)

 ■幼い頃の写真がない

 下野さんには幼いころの写真がない。

 母は子どもの面倒をほとんど見ず、写真も残さなかった。

 下野さんは自身の結婚式で、子どものころの写真を上映できなかった。

 24年11月9日の遺品整理の日。片付け作業をしていた伊丹市の専門会社「スリーマインド」のスタッフが、数百枚の写真を抱えるようにして持ってきて、下野さんの前に置いた。

 下野さんは自分の幼少期の写真がないか、期待を抱いた。

 部屋の隅に腰を下ろし、一枚一枚を確かめる。

 どれだけ探しても、母の写った写真ばかりだった。

 ■涙が込み上げた

 諦めかけた時、1枚の写真が見つかった。

 それを見た瞬間、思わず涙が込み上げた。

 涙ぐむ姿を見られたくなくて、スタッフに背を向けた。

 それは、母が40代くらいのころ、当時70代だった父方のおばあちゃんと写った写真だった。

遺品整理で見つかった下野縫子さんの祖母(左)と母の写真(下野さん提供)

 当時住んでいた神戸市北区の自宅前で、2人で並んで立っていた。

 その写真を見て、おばあちゃんと過ごした記憶が、一気によみがえった。

 ■どこに行くのも、何をするのも一緒

 下野さんが幼いころは、母と父、伯父、姉、そしておばあちゃんの6人暮らしだった。

 母は子どもの面倒を見ず、下野さんはおばあちゃんに育てられた。

 おばあちゃんがパーマをかけに行く時も、お寺にお参りする時も、どこに行く時も付いていった。

 夜は毎日、一つの布団に2人で入り、かわいがっていた猫も一緒に寝た。

 布団の中で、おばあちゃんは歌を歌ってくれたり、その日に見たテレビ番組のことを話してくれたりした。

 どこに行くのも、何をするのも一緒だった。

 ■枕元で看病してくれた

 明治生まれだったおばあちゃん。

 若いころに奈良県に奉公に出されたことなど、自分の身の上を語ってくれることもあった。

 読み書きができなかったので、覚えておきたいことがあると、下野さんが代わりにメモを取った。

 下野さんが体調を崩した時、母に「しんどい」と言っても、「テレビを見てるから」と構ってくれなかった。おばあちゃんは夜遅くまで、枕元で看病してくれた。

遺品整理で見つかった写真について話す下野縫子さん=大阪市北区

 下野さんが成長期で脚が痛かった時は、寝入るまで脚をさすってくれた。

 毎日一緒にお風呂に入っていたが、中学生になった時、恥ずかしくなった。

 一人で入ろうとすると、おばあちゃんは「一緒に入ろうよ」と声をかけてきた。

 おばあちゃんは、誰よりも優しかった。

 ■おばあちゃんの死

 下野さんが22歳のころ、90代だったおばあちゃんが入院した。

 下野さんは週に何度も、神戸市内の病院に通った。

 先は長くないと悟り、行くたびに、ベッドの脇で泣いた。

 亡くなった時の記憶はほとんどない。

母の遺品整理をする下野縫子さん(左)と専門会社「スリーマインド」のスタッフ=2024年11月、兵庫県川西市(同社提供)

 ただただ悲しくて、号泣した。

 自宅に連れて帰ると、おばあちゃんのかわいがっていた猫が、亡きがらの上でうずくまり、そのまま息を引き取った。

 それを見て、また泣いた。

 ■「ほんとに優しかった」

 おばあちゃんの写真は、1枚もなかった。

 母の遺品整理で見つかり、おばあちゃんと一緒に過ごした日々が脳裏を駆け巡った。

 写真の中では、笑顔の母に対し、おばあちゃんは無表情で立っている。

 「写真ではこんな表情だけれど、おばあちゃんはほんとに優しかった。遺品整理で見つけてくれなかったら、おばあちゃんの顔をもう一度見ることはなかった。すごくありがたかった」

 遺品整理の作業は、半日ほどで終わった。

 おばあちゃんの写真はアルバムに収め、大切に保管している。

遺品整理<1>「全部捨てよう」悪い思い出しかない母 1枚の写真に涙があふれた