「全部捨てよう」。兵庫県川西市の会社員、下野縫子さん(48)は母の遺品整理をするに当たり、そう思っていた。子どもの面倒をほとんど見ず、晩年はわがままやうそを言って周囲を困らせた母。2024年11月、業者を入れてマンションの部屋を片付けた際、下野さんが思わず手を止めた物があった。1枚の写真に、涙があふれた。=全2回の1回目=(斉藤正志)
■4度の離婚歴
「娘の私が言うのも何ですが、母はあまり性格がよくなかった。悪い思い出しかない」
下野さんは言った。
母は4度の離婚歴がある。
下野さんが幼いころは、神戸市北区に住んでいた。
記憶に残る母は、父と毎日のようにけんかしていた。
発熱した際に看病してくれた覚えはなく、テレビのチャンネルはいつも独占されていた。
母は、下野さんが26歳の時に父と離婚。神戸市東灘区で同居を始めた。
下野さんは32歳で結婚し、川西市で暮らすようになった。
これを機に、自宅近くの住宅街に、母のために分譲マンションを買った。
それから母は1人暮らしをしていた。
■よくうそをついた
母は80歳になった2019年ごろから、身の回りのことを自分でするのが難しくなり始めた。
21年には要介護1の認定を受け、デイサービスに週4回、通うようになった。
手押し車を押して一人で出かけ、坂道で転倒して救急車を呼ばれることが何度もあった。
そのたびに、下野さんは会社を早退して駆け付けた。
よくうそもついた。
出かける時は、転ぶと危ないからタクシーを使うよう言い聞かせたが、歩いて外出する。
デイサービスの職員に見つかると「タクシーで来た」と言い張り、下野さんには「向かいの部屋の人に連れて行ってもらった」と違うことを話した。
下野さんがその人にお礼を言いに行くと、全部うそだと分かった。
体が痛いと言われ、どこが痛いか尋ねると、痛い場所が聞くたびに変わる。
医療機関に連れて行くと、何の異常もなかった。
そんなことが繰り返された。
■面倒は見ないといけないと思っていた
下野さんは自宅の家事や仕事をしながら、母に振り回された。
「母に認知症の症状はなかった。構ってほしいだけだった」
下野さんは振り返る。
親戚の中で、母の面倒を見るのは下野さんだけだった。
「母にいい思い出はないけれど、人として親の面倒は見ないといけないと思っていた」
入居待ちだった特別養護老人ホームに入れそうになっていた23年6月、母は息苦しさを訴えて川西市内の病院に入院。2週間後、84歳で死去した。
涙は出なかった。
■4DKの「物屋敷」
母の世話が大変だった反動で、母の部屋の片付けをする気力は、なかなか出なかった。
放置していたが、光熱水費や管理費など毎月の出費がかさむため、母の死から1年以上たって、ようやく遺品整理に手を付けた。
しかし、4DKの部屋は「物屋敷」だった。
一部屋には母の若い頃からの衣類が多数あり、床には足の踏み場もないほど無造作に積み上げられていた。
自分一人ではとても整理できず、伊丹市の専門会社「スリーマインド」に依頼することにした。
24年9月に見積もりのための訪問を受け、作業日は11月9日に決まった。
■大量の写真が見つかった
下野さんは事前に要る物を分類し、「残す」と書いた紙を付けた。外していた扉や風呂のふたなど、限られた物にしか張らなかった。
「できるだけ何も残さないでおこう」
そう思っていた。
当日、スタッフによる作業は驚くほどのスピードで進んだ。
買い取りできる物はその場で査定してもらい、ブランド物の財布やアクセサリーなどに値が付いた。
スタッフは作業中に出てきた大量の写真を抱え、次々と下野さんの前に置いていった。
それは数百枚に上った。
下野さんは部屋の隅に腰を下ろし、一枚一枚確認した。
その時、1枚の写真に手が止まった。(続く)