「金の湯」前の碑。「日本第一神霊泉」と刻まれている
「金の湯」前の碑。「日本第一神霊泉」と刻まれている

 有馬温泉と城崎温泉は昔から良い意味でのライバル関係にあります。現在は、街並みの景観を守るため、一緒に取り組みを進めています。

 江戸時代後期の1800年ごろ、住吉方面から有馬へ向かう六甲越えの道が広げられ、行き来する人が増えました。

 その頃、医者の後藤良山が「城崎温泉が日本一」と言ったことをきっかけに、有馬と城崎のどちらが良いかという誘客合戦が始まりました。

 透明できれいな城崎の湯に対して、有馬は濁り湯の効能をアピールするため、日本で初めて回虫の専門書を出した医者、柘植龍洲(つげりゅうしゅう)に依頼し、「温泉の成分が大切だ」と著作「温泉論」の中で宣伝してもらいました。

 また、有馬の紅葉の名所である瑞宝寺公園は、正式には瑞宝寺跡公園と言います。豊臣秀吉の時代には大黒屋宗雪の私庭でしたが、江戸時代になって、宗雪の孫が黄檗(おうばく)宗の瑞宝寺を開きました。

 ある時、旅館の主人たちが20人集まり、有馬温泉のキャッチコピーを作りたいと、瑞宝寺の最後の僧である慧定真戒(えじょうしんかい)に相談しました。得た助言は「頼山陽(らいさんよう)に作ってもらうと良い」。

 1827年、歴史家であり、漢詩人、思想家である頼山陽は母と伯父とともに有馬温泉を訪れました。

 その頃の知識人の教養は、中国の漢文・漢詩でした。そこで頼山陽は、長崎の唐人屋敷に滞在していた蘇州出身の文化人の江芸閣(こううんかく)に、有馬温泉のキャッチコピーを依頼しました。

 そして生まれたのが「日本第一神霊泉」です。現在、この言葉を刻んだ碑が炭酸泉源公園内と、金の湯前に立っています。

 江戸時代には、炭酸泉源公園内の碑は現在の阪急バスターミナルの敷地に、金の湯前の角柱は雪国神社の場所にありました。当時は生瀬や船坂からの道が、有馬への主要ルートだったためです。

 金の湯前の角柱には、正面に「日本第一神霊泉 姑蘇江芸閣」と刻まれています。左側面には「有馬之温泉甲於天下 吾邦夾省亦有是水 其名相同真奇事也」とあり、有馬温泉は天下に知られた最も優れた温泉である、と記されています。

 裏面には「遠之天下近之有馬 夫人欲得温泉勝益者 要在読龍洲温泉論矣 紫野老室」。温泉の優れた効能を知りたければ柘植龍洲の温泉論を読みなさい、と説いてあり、裏面には、足の不自由な人も治って歩いて帰る、という内容の記述があります。

 そして、炭酸泉源公園の碑の裏面には、「三国に一と名高き湯の外に 富士の景色もまた有馬山」-。有馬の魅力を伝える歌が刻まれているのです。

(有馬温泉観光協会)