本紙取材班は6、7日、能登半島地震の被災地に入った。雨は次第に雪に変わり、吹く風が身を切る。避難所に身を置く被災者の不安げな姿が、29年前の阪神・淡路大震災と重なった。(上田勇紀)
■避難、辛抱も「先が見えん」
金沢市から北へ2時間半。同じ石川県だが、七尾市に入ると景色が一変した。道路はアスファルトが割れ、倒壊家屋も目につく。
「ここは、地味にひどいんですよ」。約60人が避難していた同市中島町小牧(おまき)のコミュニティセンター西岸分館。避難所運営に携わる加賀淳一さん(48)が案内してくれた。
近くの国道249号は大きく陥没し、避難所は一時、陸の孤島に。停電は解消されたが、断水は続き、トイレはためた雨水を使って流していた。
加賀さんの家も全壊に近い状態だが、声を張り上げて避難所を切り盛りする。「一人になったら涙が出てきて。どうしようもできない。でも、しょぼんとしたらもたんからね」。ぽつりと漏らした。
避難する室木一郎さん(76)と妻美喜子さん(71)が激震に見舞われたのは、久しぶりに帰省した子や孫と食卓を囲もうとしていた時だった。「人が歩けんような揺れやった。この世の終わりやなと思った」
一番困っていることは何ですか-。ぶしつけな質問と思いながら尋ねると、「先が見えんことや」と一郎さん。自宅の被害は大きく暮らしが見通せない。
























