1995年の阪神・淡路大震災では、自宅の倒壊などで兵庫を離れざるを得なかった住民が多くいた。「県外被災者」と呼ばれる人たちだ。震災直後には5万人以上いたとされるが、現在も正確な人数は分かっていない。和歌山県田辺市の堀内トシコさん(82)もその一人。夫の三日雄さん(2012年に死去)とともに神戸市須磨区から移住し、30年の歳月を必死に生きてきた。(杉山雅崇)
兵庫県が震災翌年に公表した推計では、約5万5千人が県外に避難したとされる。しかし住民票を残して県外に出たケースもあり、正確な人数は分からない。東日本大震災や能登半島地震でも県外被災者の把握は課題となっている。
兵庫県は、県外被災者として登録した人に対し、広報紙の提供や「電話訪問」などの支援に取り組んだ。最大1576人が登録し、県外被災者たちもそれぞれの土地で互助組織をつくったが、多くは既に解散したり活動をやめたりしている。
堀内さん夫婦は震災前、神戸市須磨区常盤町でケミカルシューズの素材加工業を営んでいた。自宅兼工場は地震で倒壊することはなかったが、その後の火災で全焼した。























