阪神・淡路大震災から32年目の朝を迎えた神戸・東遊園地=17日午前5時4分、神戸市中央区加納町6(撮影・長嶺麻子)
阪神・淡路大震災から32年目の朝を迎えた神戸・東遊園地=17日午前5時4分、神戸市中央区加納町6(撮影・長嶺麻子)

 神戸・三宮の東遊園地では、阪神・淡路大震災の追悼行事「1・17のつどい」が開かれた。灯籠約7千本の明かりで「つむぐ 1・17」の文字が浮かび上がった。参列者は発生時刻の午前5時46分に黙とう。兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(62)が遺族代表として「追悼のことば」を述べた。母正子さん=当時(65)=は震災による行方不明者3人のうちの1人で「お母ちゃんとの思い出を思い返すたび、当たり前に、一緒に過ごせる時間の大切さをあらためて知ったよ」などと話した。

 「追悼のことば」の要旨は以下の通り。

 お母ちゃんへ。

 どこにおるん?もう31年会えてないよ。

 加古川の私の家は倒れることもなくて、「実家もこれくらいやろう」って思ってしまったこと、今でも後悔してる。お昼すぎからテレビに映った神戸は知ってる街と思われへんかった。

 何回電話をかけてもつながらなくて「何してるんやろう?」ってちょっとイライラしたけど、避難してるって思っててん。助けに行かれへん時間だけが過ぎて、実家のアパートに行けたときには焼野原で。避難場所や病院も探したんやで。

 働き者のお母ちゃんやから、悪いことは起きひんって思ってた。そやから、いまも行方不明なんて信じられへん。実家の跡を掘り起こしてもらったけど、骨の欠片も見つからず。どうしていいか分からないまま、31年もたってしまった。

 お母ちゃんと私は「サヨナラのない別れ」。「お母さんはご健在ですか」と聞かれても「どうかな?死んでるかも」と答えることがある。そのたび、お母ちゃんがこの世にいない現実を思い知らされる。

 東日本大震災でも能登半島地震でも、家族を失った人、行方を探し続けてる人、心に深い傷を抱える人がたくさんいる。お母ちゃん、震災は揺れがおさまったら終わりじゃないよね?

 家族を探し続ける日々があり、大切な人に会いたいと思い続ける人がいること、知ってもらいたいよね?

 私もずっとお母ちゃんに会われへんまま。そんな痛みを、震災を経験した人たちと共有できたらと思う。みなさんの大切な人との時間を、大事にしてほしい。

 お母ちゃんとの思い出を思い返すたび、当たり前に、一緒に過ごせる時間の大切さをあらためて知ったよ。親孝行できなくてごめんね。天国にいると思うから、ゆっくりしてください。お母ちゃん、ありがとう。

 ■追悼のことば(要旨) 久元喜造神戸市長

 1月17日。灯が示すこの日は神戸にとって忘れえぬ日です。亡くなられた方々とそのご遺族に対し、心より哀悼の誠をささげます。

 毎年のように自然災害が日本各地を襲い、甚大な被害をもたらしています。災害は、いつどこでどのような形で起こるか分かりません。その前提に立ち、災害に強いまちづくりを進めていかなければならない。これが、私たちが多くの犠牲のもとに学んだ教訓です。

 震災から31年が経過しましたが、「1月17日」の悲しみを決して忘れることなく、その記憶とともに新たな時代へと歩み続けます。

 ■追悼のことば(要旨) 菅野吉記神戸市会議長

 尊い命を失われた方々、深い悲しみと向き合ってこられたご遺族の皆さまに、心から哀悼の意を表し、改めて祈りをささげます。

 あれから30年、震災を経験していない世代が増える中、記憶を決して風化させることなく、経験と教訓とともに未来へとつなぐことが私たちの使命であることを確認し、命の尊さと絆の力を次の世代に伝えていくことを、改めて今ここでお誓いしたいと思います。