震災直後から2年間、加古川市に避難した経験を振り返る大内扶欣子さん(左)と悠斗さん=福島県郡山市駅前2
震災直後から2年間、加古川市に避難した経験を振り返る大内扶欣子さん(左)と悠斗さん=福島県郡山市駅前2

 2011年の東日本大震災による福島第1原発事故を受け、福島県郡山市で書道教室を開く大内扶欣子さん(53)は幼い息子3人を連れ、加古川市志方町の実家に2年間避難した。避難者の自助グループへ通った経験を基に、郡山へ戻った後は帰還住民らが集える場を立ち上げた。扶欣子さんは「あの2年間が郡山で頑張る活力になった」と故郷への感謝を口にする。

■帰還後は放射能への不安尽きず

 扶欣子さんら家族5人の自宅は福島第1原発の約70キロ西にある。東日本大震災が起きた数日後、未就学児だった息子3人を伴って実家に避難。夫は仕事のため郡山に残り、家族が離れ離れの生活となった。

 現在、大学3年生となった長男悠斗さん(21)は震災の約1カ月後、加古川で志方小学校に入学した。同級生約30人全員と初対面で不安だったが「みんなの輪に入れる感覚があり、すごくうれしかった」。同小で2年間を過ごし、仲の良い友人は郡山への転校を知り涙を流してくれた。

 扶欣子さんは郡山に戻ってからも放射能への不安が尽きなかった。悠斗さんがタンポポの花や石を拾うと「そんなん捨てて、しっかりと手を洗い」と注意した。洗濯した衣服を外に干せるか分からず、食品の安全性にも心配があった。

■「郡山に帰った人と、事故後も残った人との心の溝を埋めたかった」

 そんな不安を誰でも相談し合える場をつくろうと、13年11月、避難先から戻った母親4人でグループを設立。加古川へ避難中に三木市の自助グループへ通い、必要性を感じたことが活動につながったという。「郡山に帰った人と、事故後も残った人との心の溝を埋めたかった」と振り返る。

 悠斗さんが小学生の頃は、学校で配られた積算線量計を外出時に持ち歩いた。食品から放射性物質を取り込んでいないかが気になり、息子3人は郡山市が実施する内部被ばくの測定検査を何度か受けた。検査を受ける人数が減り、同市は23年3月末に実施を終えた。扶欣子さんは「被ばくは気になるが、原発事故への意識は薄くなっていると思う」と正直な思いを明かす。

 加古川に避難後は風評による偏見も心配したが、扶欣子さんは「本当に嫌な思いをしなかった。加古川でも郡山でも周囲の人に恵まれ、感謝しかない」。実家へはお盆の時期に帰省しており、悠斗さんは「志方小の時の友人と会ってみたいな」と笑顔で話した。(田中宏樹)