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プロスノーボーダーとして活躍した岡本圭司。「テクニックの引き出しは多い」と経験を生かす=1月の世界選手権、ノルウェー・リレハンメル(日本障害者スキー連盟提供)
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プロスノーボーダーとして活躍した岡本圭司。「テクニックの引き出しは多い」と経験を生かす=1月の世界選手権、ノルウェー・リレハンメル(日本障害者スキー連盟提供)
岡本圭司
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岡本圭司

 4日開幕した北京冬季パラリンピック。スノーボード男子(下肢障害LL2)日本代表として初出場する岡本圭司(40)=牛乳石鹸共進社、神戸市東灘区出身=はかつて、世界を股に掛けるプロスノーボーダーだった。一線を退いた後、スノーボードの映像のモデルとして活躍していた33歳の時に、事故で右脚の自由を失った。人生の分岐点を経て、雪上の祭典に挑む。

 2015年2月、好天の長野県。スキー場とは違う未整備の山奥を滑っていた。快調に撮影をこなしていたが、足元で雪解けが進んでいた。

 「不注意でしたね。10メートルぐらいはあったのかな」。割れ目から滑落して、脊髄を損傷した。

 リハビリを積んでも右脚は下に向かうほど感覚が鈍く、足首はほぼ動かない。1年後に雪山に戻ったが、滑りは理想から程遠かった。

 「けがをする前は、表現する楽しさが人生の答えになっていた。メンタル的にもフィジカル的にもベストのコンディションだった。そういう時に…」

     ◇

 兵庫県立御影高から甲南大に進み、19歳でスノーボードを始めた。空中の回転技を競う世界最高峰の大会で入賞を果たすなど日本を代表する選手となり、「国際ブランドとの契約」など、掲げた目標を次々と実現した。28歳で表現者に転じた後も、培った技術で芸術的な写真を生み、幾多の雑誌を飾った。まさに充実期を惨事が襲った。

 高度な滑りを失った自分に価値はあるのか。映像制作、DJ…。事故後3年間、あらゆる表現に挑んだが、心を揺さぶったのはやはり、スノーボードだった。

 パラの全国大会に出て、滑るだけで幸せを感じた。優勝を逃すと「勝ちたい気持ちが芽生えた」。競技の世界に舞い戻った。

 「昔は派手に、今は無駄なく」。障害を負う前は空中で大きく跳んだが、現在は複数の選手が一斉に滑って競う「スノーボードクロス」が主戦場だ。滞空時間の長さは遅れを意味する。体に染みついた動きを徐々に修正して、昨季のワールドカップ(W杯)イタリア大会で自己最高の2位に輝いた。

     ◇

 スノーボードを始める前に決めた目標は五つあったが、ただ一つ、「世界大会の表彰台」だけ届かなかった。勝負にこだわるほどメダルから遠のいたという。事故を機に滑る楽しさを満喫すると、39歳で成就し、昨シーズンはクラス別総合王者の称号も獲得した。

 「人生は面白いと思いました。北京でも、とにかく自分が納得できる滑り。そこが一番」

 大会初戦は、6日のスノーボードクロス予選。自然体でスタート地点に立つ。(有島弘記)

【パラスノーボード】バンクドスラロームとスノーボードクロスの2種目。バンクドスラロームはバンクと呼ばれる傾斜のあるコーナーを滑り、タイムを競う。スノーボードクロスはバンクやウェーブ(波打った雪面)、キッカー(ジャンプ台)があるコースを滑走し、決勝ラウンドは複数人が一斉にスタートして順位を争う。障害別に実施するが、上肢障害はクラス分けがなく、下肢障害に二つのクラスがある。

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