兵庫県立大学減災復興政策研究科准教授の澤田雅浩さん
兵庫県立大学減災復興政策研究科准教授の澤田雅浩さん

 今年、そして来年は東アジアで大きな地震災害を受けた被災地が20年、25年、30年といった数字の上では区切りのときを迎える年である。阪神・淡路大震災は来年1月で30年を迎え、1999年9月に発生した台湾921地震からは今年で25年、そして私が長岡で経験した新潟県中越地震は10月23日で20年となった。

 復興やその後のまちづくりが区切りの年に何かしらの特徴的な動きを見せるとは限らない。しかし、災害を振り返り、その経験をどのように生かしてきたかを改めて考えたり、今後の被災地にとっての知恵を改めて整理したりする機会になることも多い。

 9月21日には台湾・南投県の埔里(プーリー)にある国立曁南(きなん)国際大学を会場として、震災25年のシンポジウムが開かれ、日本から筆者も含めさまざまな関係者が招かれた。その多くは神戸などで復興まちづくりや災害伝承に関わってきた人々である。台湾921地震の被災地の復興と日本の縁は深い。阪神・淡路から4年後の災害でもあり、少し先回りした復興の経験を持つ神戸から多くの人々が台湾の被災地を陰日なたに支え、息の長い付き合いを続けてきた。

■つながる神戸、台湾、中越

 台湾921地震では、都市部から中山間地域にかけ、広範囲かつ地勢もさまざまな場所が被災した。台湾政府は復興に当たり、特に農村部、地方部、そして少数民族の居住地域について「社区総体営造」という考え方で進めようとした。文字通り、社区(コミュニティー)における包括的、総合的なまちづくりである。

 これは日本、とりわけ神戸で実践されてきた「まちづくり」をヒントに台湾で採り入れられつつあった手法であった。1981年に全国に先駆けてまちづくり条例を制定し、まちづくり協議会による行政への提案権も認めた神戸の取り組みが、日本で都市計画やまちづくりを学んだ台湾の専門家の橋渡しで海を渡ったのである。

 台湾では、日本で言うNPO的なまちづくりコンサルタントの組織「基金会」が現地に密着し、地域の特徴を再発見することから始め、人材を育成しつつ丁寧に事業を実施してきた。日本では農産物の6次産業化など個別の取り組みは数多いが、台湾の場合、農作物の付加価値向上はあくまでまちづくりや地域の復興と活性化の一つの要素として扱われている。

 日本と縁が深い埔里鎮の桃米村では震災当初、貧しい農山村だった集落を綿密に調査し、生態系の多様さが国内随一であることを見いだし、豊かな自然環境を観光資源とする「生態村」としての発展を目指した。まず生態系を解説する人材を育成し、有償ガイドとなって地域で収入を得られるようにする。続いて、観光客が金を落とせる仕組みとして食堂や民宿の起業を支援してきた。現在では国内から多くの観光客が訪れる。

 ほかにも、河川護岸のコンクリート三面張りのような機能は高いが環境への配慮に欠ける部分を徐々に石積みなどに移行させたり、国内有数の種類が生息するカエルやチョウの成育環境を守るため農家が農薬をなるべく使わない有機農法に取り組んだり、地域の環境をよりよくすることを大きな目標に、それぞれが工夫し、生態村として進化を続けている。そのプロセスは、震災復興をSDGs的な取り組みへと発展させることができるのだと学ぶべき点が多い。

 今回のシンポジウムのテーマは、困難から立ち直る力、「レジリエンス」である。被災経験や復興プロセスの伝承といった報告はほとんどなく、生態環境をよくすることで地域をどう発展させていくかが主だった。環境を一層向上させるアートの役割なども議論された。復興だけでなく、環境保護と地域の発展の視点がきちんと参加者に共有されている。

 台湾と神戸とのつながりがより強固になった出来事がある。阪神・淡路大震災で焼失した神戸市長田区のカトリック鷹取教会に設置された「ペーパードーム」の桃米村への移設プロジェクトである。建築家坂茂氏の設計による紙管を使った集会所と聖堂を兼ねた建物で、2005年、教会を再建する際に解体される建物を譲り受けたいとの要望が台湾側から神戸の人々に伝えられ、07年に現地への移設・再建が実現した。台湾では「紙教堂」と呼ばれ、今や観光客の人気スポットになっている。

 訪れた9月21日にはそこで式典やコンサートが開かれ、長い交流を記念して近くに建立された石碑の除幕式もあった。神戸のまちづくりが台湾の社区総体営造へ、それが中越地震における地域主体の柔軟な支援へとつながっているのを再確認したイベントだった。阪神・淡路の被災地だけで30年という時間が積み重ねられたのではなく、台湾でも、そして中越でも積み重ねられてきたと言える。

 台湾や中越がじきに震災30年を迎え、さまざまな振り返りが行われる際、経験をどう伝承するか、風化が心配だ、という議論がなされるだろう。だが実は他の場所でそのことを思い起こすことができる、ということも念頭に置いてよさそうである。

(さわだ・まさひろ=兵庫県立大大学院減災復興政策研究科准教授)