乗客106人と運転士が亡くなった尼崎JR脱線事故の事故車両の保存を巡っては、遺族や負傷者の間にさまざまな声があった。JR西日本が一人一人の意見を聴き、事故の20年後に保存施設を完成させたことは意義深い。教訓を胸に刻み、安全への決意を新たにしてほしい。
保存施設は大阪府吹田市の社員研修センターの隣に完成した。1~4両目は損傷が激しいため、座席やつり革、屋根などの部品を車両ごとに分けてケースに収める。5~7両目は連結した状態で展示する。地下には事故現場を再現し、脱線の痕跡が残る電柱や枕木、レールを置き、遺留品や遺族の手記なども並べる。
施設は遺族や負傷者、JR西社員、運輸事業者の安全担当者らに限って公開される。大切な人が最期を迎えた車両を、興味本位で見られたくないとの意向は尊重すべきだ。原則非公開としたのはうなずける。
JR西の聞き取りでは、遺族らの意見は非公開を望む人と公開すべきだとする人が拮抗(きっこう)している。公開を望む理由は教訓の継承だが、そう思えるまでに長い年月を必要とした遺族もいるだろう。
今後、時間の経過とともに事故の風化を懸念する声が増えていくことも予想される。悲惨な事故を繰り返してはならないとの思いはすべての関係者に共通する。JR西は遺族や負傷者に向き合い続け、思いを丁寧にくみ取りながら、一般公開の可能性を探ってもらいたい。
事故車両は安全対策を考える上での貴重な資料でもあり、技術的な活用を図ることも重要だ。乗車位置など乗客の生死を分けた要因「サバイバルファクター」を掘り下げ、万が一事故が起きた場合も、被害を最小限にとどめる車両の設計などに生かしていく必要がある。
事故を起こした車両を保存し、教訓を伝える取り組みはJR各社が進め、他の鉄道事業者の視察を受け入れている。尼崎の脱線事故は平成以降で最多の犠牲者を出した。JR西には教訓と反省を交通関係者全体で共有する責務がある。
日本航空は乗客乗員520人が亡くなった1985年のジャンボ機墜落事故の教訓を継承するため、残存機体などを展示する研修施設「安全啓発センター」を2006年に羽田空港に開設した。予約制で一般にも公開している。実現には遺族らの大変な努力があった。思いを反映させた経緯を参考にしてほしい。
尼崎脱線事故から20年がたち、JR西では事故後に入社した社員が7割を超えた。保存施設の重要性は一層高まっている。安全最優先という基本を再確認する場として、最大限に活用しなければならない。
























