■心残りは…最期のお別れできず
「父のことは、仕方なかったんやって思ってるんです」
私たちは大阪府東大阪市のファミリーレストランで増野節代さん(50)=仮名=に会っている。10月半ばだというのに日差しが強く、暑い日だった。
周囲の客を気にしているのだろうか、増野さんの話し声は少し小さい。父親の昌弘さん=同=は今年8月、東大阪市の自宅で死後10日近くたった状態で見つかった。85歳。孤独死である。
スマートフォンに残している記録を見ながら、増野さんが振り返る。
近所の人から「1週間ぐらい、お父さんを見ていない」と連絡があったのは、8月10日のことだ。翌日、増野さんは自転車で30分ほどの実家に向かう。合鍵で玄関を開けたが、開閉を制限するドアガードが掛けられている。
ドアの隙間に手を入れると冷気を感じた。熱中症は大丈夫そうだ。寝ているのだろう。以前にも同じようなことがあった。
3日後の夜、警察から「異臭がするという通報があった」と連絡が入る。警察官が中に入ると、1階のリビングのソファで昌弘さんはうつぶせで亡くなっていた。死因は分からない。
◇ ◇
「私も1、2週間に1回ぐらい、様子を見に行ってたんですけど…」。目の前のコーヒーにほとんど手を付けず、増野さんが話を続ける。
3年前のことだ。増野さんの母親が特別養護老人ホームに入り、父の昌弘さんは独りで暮らすようになった。やがて認知症の症状が現れる。怒りっぽくなった。物を盗まれたと声を荒らげる。
「『ちょっと病院でお話、聞こか』と認知症診断をしてくれる病院に連れて行ったんですけど、『お前、親をばかにしてるんか!』って怒鳴られました」。増野さんが苦笑する。
地域包括支援センターのスタッフが時々、昌弘さんの自宅を訪ねていたが、インターホンを鳴らしても出ないことが多かったらしい。
誰か、一緒に住むことはできなかったんですか?
私たちの問いかけに、増野さんは「仕方なかったんです」とつぶやき、家族の状況を説明してくれた。
増野さんはシングルマザーだ。高校生と中学生、小学生の子どもがおり、家族4人で2DKの賃貸ハイツに暮らす。パートで工場に勤め、スーパーやコンビニでお菓子を陳列する箱を組み立てている。収入は多くなく、生活保護を受給していると話す。
「妹がいたんですけどね、亡くなったんですよ」。4年前、がんで逝ってしまったという。昌弘さんは、ひどく落ち込んだ。
それぞれの家族に、他人には見えない事情がある。老いた父の独り暮らしは避けられなかったのだろう。
◇ ◇
「仕方なかった」と話す増野さんだが、一つだけ心を痛めていることがある。
昌弘さんの葬儀の日、葬儀会社の担当者に呼ばれた。納体袋のチャックが少し開けられ、昌弘さんの顔が見えた。おでこの辺りに、虫がわいている。「参列者には見せない方がいいですよね、という確認だったんです」。葬儀でひつぎのふたが開けられることはなかった。
「みんなとお別れさせてあげることができなくて。それは、かわいそうでした」
取材ノートから顔を上げると、淡々と話していた増野さんの目が潤んでいた。
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