大阪府東大阪市の増野節代さん(50)の父昌弘さん=いずれも仮名=は今年8月、自宅で孤独死した。85歳だった。私たちはファミリーレストランで増野さんから話を聞いている。昌弘さんはどんな人だったのだろう。
昌弘さんは紳士服の仕立職人だった。増野さんが子どものころは長屋暮らしで、2部屋のうち一つは昌弘さんの仕事部屋だった。型紙や生地がたくさんあった。
両親と妹の4人家族。「頑固で厳しい父でした。正義感は強かったですね」。小学生のころ、遊びに夢中になって帰るのが遅くなると閉め出された。「夕方の5時をちょっと過ぎたぐらいなんですけど、『もう帰って来るな!』ってね。しばらくしたら母が『もうええで、帰っておいで』って迎えに来てくれるんです」。懐かしい日々。増野さんの表情が柔らかくなる。
増野さんは20代のとき、昌弘さんの反対を押し切って結婚した。5年ほど連絡を取らない時期があったものの、親子関係はいつのまにか修復される。妹が40歳で亡くなり、母は特別養護老人ホームに入った。増野さんは1、2週間おきに仕事や子育ての合間を縫って、一戸建て住宅で独り暮らしをする昌弘さんの様子を見に行っていた。
経済的に恵まれた暮らしではなかったのかもしれない。自転車で通える距離に住む父と娘。けんかはしても仲直りできる関係だったのだろう。
◇ ◇
昌弘さんが亡くなり、増野さんは葬儀会社に紹介された業者に部屋の清掃と遺品整理を頼んだ。ホームにいる母のを含め、使わない物は処分してもらった。
作業が終わって、ばらばらにしまわれていた写真と3冊のアルバムを手に取る。30年ほど前、城崎温泉に行った家族写真を懐かしく眺める。妹もいて、4人で写る。「感謝したいときに親はいないって言うじゃないですか。そう思って連れて行ったんです」
私たちは増野さんの話を聞きながら、自分たちが育ったような、どこにでもいるような、平凡で普通の家族を思い浮かべる。怒ると怖い父、優しい母。子どもたちは独立して家を出て、母はホームに入る。そして、父は独りで亡くなった。孤独死は身近な話だと、私たちは感じている。
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