連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

  • 印刷
家族や親類が集まり、片山省さん(最前列右から3人目)の出征を見送った=1944年1月、洲本市
拡大

家族や親類が集まり、片山省さん(最前列右から3人目)の出征を見送った=1944年1月、洲本市

家族や親類が集まり、片山省さん(最前列右から3人目)の出征を見送った=1944年1月、洲本市

家族や親類が集まり、片山省さん(最前列右から3人目)の出征を見送った=1944年1月、洲本市

 洲本市の片山省(しょう)さん(91)は1944(昭和19)年1月、徴兵検査に合格して陸軍に召集され、古里の淡路島を離れた。

 「何も特別なことはなかったね。前日の夜に何を食べたのかも覚えてない。送別会もなかった。ただ、家族や親類が集まってくれてね」

 「おやじは『元気で行ってこい』とだけ、言った気がする。自分だけやなくて、大勢が一緒に行きよった。洲本の船着き場では、あちこちで『万歳、万歳』の声がした。音楽隊もいて、にぎやかやったね」

 船で神戸まで行き、旧国鉄に乗り換えて広島の宇品(うじな)に向かう。到着したのは1月10日だった。

 「同い年くらいの若者が大勢集まって、軍服とか帽子とかを全部そこで受け取った。そこから捕鯨船に乗り込んだんです」

 船は釜山(プサン)に着いた。そこで予防接種を受けて軍用列車に乗った。部隊はほとんどが兵庫県の出身者だった。

 「同級生とか顔見知りもおりましたから、ちょっと話をしたりしたね。満州までは5日ほどかかった。覚えとるのは、今の北朝鮮に入ったくらいのところでね、リンゴがいっぱいなっとるの。真っ赤なリンゴ。列車の窓から見えた。なぜかそればっかり、記憶があるわね」

 軍用列車が北へ進むにつれ、気温が下がっていくのが分かった。ソ連との国境近くに到着したときは、氷点下30度に近かったという。雪は降っておらず、あたりはしんとして、凍り付いたようだった。

 「ほらもう、淡路とは全然違うですね。でも、もう覚悟してるから。満州は寒いと。そこに軍用トラックが迎えに来た。30台ぐらいあったかなあ。イロハニホと5隊あるうち、僕はイ隊に入りました」

 トラックを降りると、広大な敷地に平屋の兵舎がずらりと並んでいた。初年兵は1棟につき25人ずつ入れられた。体を伸ばすのがやっとの寝台に、わらを詰めた布団が置いてあった。

 「3日間はお客さん扱いでした。何もせずに食べさせてくれるの。4日目からやね、軍人精神の注入が始まったのは」

(上田勇紀)

2014/5/6
 

天気(9月6日)

  • 33℃
  • 25℃
  • 10%

  • 34℃
  • 22℃
  • 10%

  • 35℃
  • 25℃
  • 10%

  • 36℃
  • 23℃
  • 10%

お知らせ