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(8)リストラ 怒り届かず募るむなしさ
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 弁当が入った箱を抱えてドアを開けた。関連会社の事務室。岩田敏明さん(44)が、伝票を渡して次の配達先に向かおうとした時、かつての同僚に話しかけられた。

 「ええとこに換わったな。楽そうやし…」

 「そんなことないよ」と応じたものの、言葉が胸につき刺さった。白い帽子、白のジャンパー姿がまだ慣れない。

 岩田さんは、川崎製鉄神戸工場で勤続二十七年。一貫して機械の保全業務に携わり、「製鉄関係のほとんどの設備を触った」。現場を歩き続けた鉄鋼マンの自負があった。

 一月上旬、岩田さんは関連サービス会社への出向を内示された。同期の西川良則さん(45)の名もあった。神戸工場の業務が岡山県・水島製鉄所に移管され、それに伴う異動だった。

 募る疑問。怒り。しかし、友人らに同情の面持ちはあるものの、反応はあっさりしたものに感じた。

 「四十代やのに、かわいそうやなあ」「けど、震災もあったし、みんな出向に出されてる」

 西川さんが身内の一人に電話で配転の内容を伝えた時、「大きな会社だから仕方ないよ」と慰められた。伝わらない胸の内。それも、やむを得ないのかもしれないと思う。労組も既に異動の提案を受け入れずみだった。

 「弁当配りが嫌だとは言ってない。ただ、これまでの自分のキャリアって一体何だったのか」

 そう漏らす岩田さんは、神戸市長田区の自宅が半壊。ローンの残りと修理費を合わせると借入金は三千万円になり、十七年間は返済し続けねばならない。一部は会社からも借りている。「不満でも辞められない」

    ◆

 神戸・阪神間の重厚長大産業は構造変化の大波にさらされ、各社とも生産体制の再編を迫られていた。そこに地震が直撃した。厳しい経営環境に加えて、各社とも百億円を超える被害の追い打ち。

 「震災前から進めていたリストラ計画を、震災を理由に加速した」。兵庫県労働組合総連合(兵庫労連)は批判するが、大きな反発の声は聞こえてこない。

 三月初め、膨らんだバッグを抱えて川崎重工業のベテラン工員がJR神戸駅に降り立った。

 神戸工場から香川県の坂出工場に配転となって八カ月になる。地震で壊れた自宅は、千万円を超える借金で再建中だ。手続き、交渉はほとんど妻に任せるしかない。しかし、気になって、月に最低一回は神戸に戻って来る。

 「被災したのになんで坂出におらなあかんのか。最初は腹立ったけど、いくら怒ってみても何にもならん。ただ、むなしいだけ」

    ◆

 三月八日、震災後に兵庫労連が設けた「働くものの一一〇番」は開設から一年を迎えた。この間、寄せられた相談総数は約二千件にのぼる。組織されていない人の不当解雇や、パート女性からの相談が大半を占め、大企業の配転やリストラに抗議する声は、ごくわずかという。

 「雇用の維持が優先され、その先の働きがいや勤務条件などは置き去りにされてしまう」(森岡時男事務局長)

 そんな企業風土に、労使同等に被った震災の痛手。不本意な胸の内は、被災地に沈み込んでいく。

1996/3/12
 

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