震災で全壊した神戸・三宮の喫茶店の跡は、一年たった今も更地のままだ。テナントビルのオーナーとは連絡がとれない。
「裁判に勝っても、億単位の金がいりますよ」
借地権を行使し、自分でビルを建てる可能性を尋ねた弁護士から、そう説明された。
一年間、次々に仕事を変えた加納保さん(45)=仮名=は、このごろ、疲れている自分を感じる。妻と娘三人の家族も、だ。
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震災で収入が途絶え、一カ月後、店の前で屋外喫茶を始めた。サンドイッチを垂水区の自宅で作り、単車で通った。売り上げは伸びなかった。避難所に寄り、余って置いてあったパンをそっとかばんに入れた。
ほこりと寒さの中で働き、糖尿病が悪化した。さらに胆石が見つかった。四月、入院。七月まで病院で過ごした。
娘たちのため、一人月五千円ずつ積み立てていた貯金を解約した。お年玉の貯金も合わせて百万円ほどあった。娘たちが「使って」と言ってきた。
住宅ローンと、地震の二年前に店を改装したローンが残っていた。入院中に店の建て直し費用として緊急災害復旧資金一千万円を借りた。生活費に使い込むことになった。
店の再開は、テナントビルの再建待ちだった。二階建ての一階を借りて十年になる。当初、オーナーは建て替えの設計図を見せてくれた。だが、敷金を返してくれた後、電話に出なくなった。オーナーも被災者だった。自宅は全壊。最初の避難先は聞けたが、次の連絡先は知らされなかった。
三宮は地区計画が都市計画決定され、加納さんの店が入っていたビルの周辺は容積率二〇〇%以上などの制限が加えられた。市は小規模ビルの共同化を図るが、話がまとまった所はまだない。
オーナーは「だから」と、再建が滞っている理由を弁明する。「規制ばかりで、金は出ない」「事務所余りだし、高いビルを造る投資をしても回収できない。『建てろ』と言われても、どうも言いようがない」
オーナーは「身動きが取れない」と繰り返した。
ビルの再建の見通しが立たず、苦悩するテナント店主は少なくない。しかし、支援の手立てはなく、訴訟にすら持ち込めずにいる。神戸弁護士会の丹治初彦弁護士は「法律家の救済の枠を超えている」と、状況を説明する。
「国が土地を買い上げてビルを建てるぐらいのことをしないと、動かない。もちろん、そんなことは極めて難しいが」
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加納さんの喫茶店は、ビジネス街の一等地にあった。土日は定休日で、よく遊園地や旅行に行った。「家族あっての生活。がむしゃらに商売するより、今を大切にしたい」。そんな生活スタイルに合っていた。
同じ場所での再開にこだわる限り、出口は見つかりそうにない。
警備員、タクシー運転手を経て、いま、知り合いの喫茶店を手伝っている。「家族がおるから、やり直さなあかん」。そう思いつつ、待ち続けるだけの日々。見えない明日に焦りが募る。一千万円の借金は返済は三年後からだ。
「三年後には顔、青ざめてるやろな」
1996/3/8