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(7)隠れた嘆き 追われ続ける働き盛り
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 「働き盛りだから、自分でなんとかせんと」

 周りからも言われたし、自分でもそう思ってきた。しかし、その働き盛りゆえに、いつもしんどい立場にあったような気がする。

 山川真知子さん(42)=仮名=は、夫(44)と十九歳の長男を筆頭に五人の子どもがいる。震災で神戸市内の自宅が全壊した。

 夫が勤めていた靴加工の会社も焼け落ちた。社長の再建するという言葉を頼りに、五カ月間、わずかな給料で我慢した。だが、生活がある。蓄えはない。見通しがつかず、結局、辞めた。同業の他社に移ったが、人間関係や条件面の折り合いがつかず、合わせて三度会社を変えた。神経性の脱毛症になった。

 避難した学校で半年。仮設住宅に四次募集でやっと当たった。と言っても、第一希望の自宅近くとは違う市の北西部、地下鉄とバスを乗り継いだ先の仮設住宅だった。

 「学校を子どもたちに返すため、若い世代がまず避難所を出よう」。そう励まされたが、家計のしんどさを考えると複雑な気持ちだった。

 仮設住宅は2K。家族の人数の多さを行政は配慮してくれない。長男は勤め先の寮に入った。それでも六人で寝返りさえできない。電気代もガス代も、震災前の四割増しになった。

 交通費も定期代が五人で月六万円に上った。子どもたちは転校を嫌がり、元の学校に通う。避難生活でつらい思いをさせた子に、さらに転校のストレスを強いることはできなかった。

 仮設住宅に来て、小学生の娘は「暗い」「怖い」「さみしい」と頻繁に言うようになった。満員の地下鉄で「頭が痛い」と叫び、病院に連れて行くと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。

 医者の勧めもあり、市住宅局に診断書を持って、仮設住宅を二戸借りられないか相談に行った。「知的障害ですか。福祉手帳もらいましたか」。そう問い返され、希望はかなわなかった。

 経済的にも、精神的にも、追い込まれる一方だった。「家賃もないし、ゆっくりしたらいいやん」と友達に言われたが、「とんでもない」と焦りが募った。

 子どもの学校の近くで借家を探した。が、子の数を理由に「家が傷む」と断られ続けた。家賃の負担も大きい。元の家は月三万五千円だった。

 「市に断られ、民間にも断られ、いったいどこ行け言うの」

 やっと長田区に見つけた長屋は2DKで八万五千円。借金もできたから、決して払いやすい額ではない。喜ぶ子どもの顔を見て、決心した。いずれ公営の低家賃住宅に住みたいと願う。

 引っ越しを済ませたころからせきが止まらず、病院で「肺炎になりかけ」と入院を勧められた。だが、家で休むことにした。パートの仕事を始めたばかり。「家賃が払えるかどうか気が気でないのに、入院なんて」

    ◆

 「若い世代の参加が少ない」。被災地の各地にできた仮設住宅自治会の役員から、そんな嘆きが出る。真知子さんも夫も、自治会の会合や催しに顔を出したことはない。もともと面倒見のいい下町っ子だったが、余裕がない。

 家のこと。勤め先や子どもの教育のこと。この一年、いつも追われるような気分で過ごしてきた。

1996/3/11
 

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