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(3)消えた支え 共同体崩れ遠のく再開
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 午前一時から神戸市西区のマット工場で夜勤をこなす。朝十時、今度は三トントラックで大阪へ。夕刊を三木・社方面まで運ぶ。北区の仮設住宅に戻るのは午後五時になる。一日十六時間。二月、豊村和正さん(32)の激務が、来る日も来る日も続いていた。

 「睡魔との闘い。でも仕方ないですよ。ケミカルを再開できる日までは…」

 大阪・西梅田の新聞社に着いた時、運転席の豊村さんはため息をついた。

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 震災前、須磨区で紳士靴の底材の熱プレス成型業を営んでいた。正社員とパートの二人を雇い、月間二百万円の仕事をこなした。一九九四年には将来に備え、隣の工場を買い取った。高校を出て十年余り。事業は順調だった。

 ところが、震災で工場兼自宅が全壊した。すぐに再開を考え、仮設賃貸工場に応募したものの落選。しかし、月々二十万円以上の借金返済は待ってはくれない。

 壊れた工場跡に、取り出せたプレス機三台が置いてある。だが、再開には踏み切れない。半径一キロに四、五軒あった外注先が、いまは三キロに一軒あるかないか。材料調達も昔どおりいかない。業者間で交わしていた口コミの情報も入らない。

 「支え合う『長田村』があったから、商売ができてた。回復が遅いことを仲間から聞き、どんどん憶病になっていく」

 土地や機械。人手。資金。それらが確保できたとしても、かつての「長田」が戻らない以上、再開はギャンブルに思えるのだ。

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 ケミカルシューズのメーカーから縫製、裁断などの下請け業者が幅広く分散する神戸市長田区。震災前には約千七百社、合計一万五千人以上が働いていたという。個人業者や内職まで含めると、その数はさらに膨らむ。

 しかし、震災から一年余りが経ても、立ち直りは遅々として進まない。

 「九割のメーカーで再開。生産量は震災前の五割まで回復した」

 市経済局はこう公表する。だが、これは主要メーカーの加盟する組合での数字。業界内では「生産量はせいぜい三、四割」とささやかれる。失業、融資などにある公的データと現場の実態との乖離(かいり)が、ここにも顔を出す。

 「受注量は三、四割の減。大事な足腰がやられ、コストはかさむ一方だし」

 年末に従業員を大幅削減したあるメーカーの社長(66)は嘆いた。

 いま、長田には新しい工場がポツリポツリと建つ。この地に神戸市は「くつのまち・ながた」構想を打ち出している。靴のショップ街などを整備し、「デザイン力の向上や産業の高度化」を目指す。分業でアジア諸国の追い上げに対抗してきた仕組みも変わり目にある、との認識だ。

 「それしか方法はないんでしょう。以前のように、末端にまで波及がくればええんですが」

 新しい構想の中で、自分の居場所はどこになるのだろう。どうしようもないけれど、あの支え合いが遠のいていく。豊村さんには、そんな実感がある。

1996/3/7
 

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