■守りたい私たちの街
ぽたぽたと落ちていた水滴が、やがて糸を引くように垂れ始めた。氷点下四四度で貯蔵されていた液化石油ガス(LPG)は、外気に触れて少しずつ気化した。
神戸市東灘区御影浜町の「エム・シー・ターミナル神戸事業所」。一九九五年一月十七日、阪神・淡路大震災の直後からガスが漏れた。高さ三十メートルのタンクとパイプをつなぐ直径四十センチの元弁から漏れる量は、余震のたびに増えた。
所員が決死の復旧作業を続けた。消防署は火事で手が回らなかった。市民はまだ知らない。
空気より重い無臭のガスは、濃度次第で静電気でも爆発する。タンクは高さ三・六メートルの防液堤で囲まれ、ガスのたまったその内側に降りないと、元弁に近づけない。
「命がどうなろうが、なんとかせなあかんかった」。当時、LPG課長だった福井仁さん(61)は宿直室の毛布を切り、元弁に巻いた。毛布に水をかけてLPGの気化熱で凍らせ、漏れを止めようとした。しかし、だめだった。水滴は毛布を突き抜け、幾筋も垂れた。
翌十八日午前六時。東灘区災害対策本部は、区の南西部一帯に避難勧告を発令した。対象は約七万二千人に上る。
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震災を教訓とした言葉が、九八年三月発行の「兵庫県高圧ガス防災マニュアル指針」にある。
<起こることが極めて稀(まれ)である最大仮想事故についても想定しておく必要がある>
県の「指針」は、漏れたガスの拡散範囲や、放射熱、爆風圧の影響を簡単に導く計算式を、全国に先駆けてまとめた。
指針を使ってエム・シー・ターミナルが、「災害想定」を作っていると聞き、昨年暮れ、私たちは取材を申し込んだ。
同社は震災後も「飛行機の墜落ぐらいしかない」と、爆発は想定していなかった。「本社の了解」を待って見せてもらえた災害想定で、最大の被害はローリー積み込み中の流出事故だ。ガスは半径三百八十メートルに拡散し、非常に炎上しやすくなるという。
しかし、扉にわざわざ〈この算定はほとんど起こり得ないような大きな災害を想定したものではありません〉と注釈が付いていた。「最悪」の想定を望ましいとする県の指針とは異なる。石川広所長は「施設の安全設計や防災対策をしており、現実的でない想定は誤解を招く」と説明した。
一方、兵庫県の指針の計算方法を応用すると、震災の余震でLPGタンクの元弁が完全に切断していたら、最大で半径八百三十メートルに拡散し炎上する、との数字が得られる。ただし炎にさらされる周辺のタンク群が誘爆すれば被害はさらに拡大する。
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震災二日目。十年前のきょう、神戸は氷点下〇・五度まで冷え込んだ。
「浜の方でガスタンクが爆発するらしい」
御影高校には、朝から避難者が続々と現れた。廊下も階段も座り込む人であふれた。
「ここも危険や。山手幹線の北へ上れ」
そう聞いて、しゃがみ込んだ高齢の女性を、自治会役員の藤沢福男さん(84)は覚えている。
「死んでもええから、ここにおいて」。彼女はすがるように訴えた。
藤沢さんは九六年、地元団体とともにエム・シー・ターミナルに強く要望し、「予想を超えた災害」の発生時、自治会役員に直接連絡することなどを内容とする覚書を交わした。「災害想定」は知らない、という。
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地震で疲れ切った人々に追い打ちをかけたガス漏れ事故。その原因調査はあっても、避難勧告の検証は皆無に近い。震災の翌日、被災地で何が起きたのかを報告する。(記事・宮沢之祐 松本茂祥)
2005/1/18