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(9)人工島 開店して動揺防いだが
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避難勧告の最中に届いたおにぎりに、長い列ができた=1995年1月18日、神戸・六甲アイランド(金子栄男さん提供)
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避難勧告の最中に届いたおにぎりに、長い列ができた=1995年1月18日、神戸・六甲アイランド(金子栄男さん提供)

避難勧告の最中に届いたおにぎりに、長い列ができた=1995年1月18日、神戸・六甲アイランド(金子栄男さん提供)

避難勧告の最中に届いたおにぎりに、長い列ができた=1995年1月18日、神戸・六甲アイランド(金子栄男さん提供)

 神戸・六甲アイランドにあるダイエー系のスーパー「イタリアーノ」。一九九五年一月十八日早朝、店長だった永村孝さん(53)は散乱した商品を片付けていた。十七日は定休日だった。十八日は営業すると決めた。停電しなかったので、レジも使えた。

 ところが午前九時、「ガス爆発が起こる」と聞き、慌てて外国人学校に避難した。避難者は多かったが、緊迫感はなかった。状況の説明は皆無だった。一時間後、しびれを切らして店に戻った。

 六甲大橋が通行禁止になり、島は“孤島”になった。物資の搬入も滞った。永村さんは、開店を待つ人に「整理できたら開けます」と伝えた。午後一時、約五百人が並んだ。「はよ、開けろ」と怒鳴る人もいた。

 避難勧告が出ていたが、永村さんは開店する気でいた。派出所に連絡すると、警官五人が来た。待ち続ける客は切羽詰まった雰囲気だった。警官は「店長の判断に任せる」と言い、帰った。永村さんは「秩序ある対応を」と呼びかけ、午後三時ごろ、開店した。

 当時、神戸大学助手だった都市防災学専攻の大西一嘉さん(52)ら、居合わせた住民約十人が協力を申し出た。段ボールに「1人10品限り」と書いた。五十人を入店させ、十人ずつ入れ替えるルールができて、皆が守った。深夜十一時半まで客は途切れなかった。レジを打つ永村さんに客が礼を述べた。

 「避難勧告は、正直、気にならなかった。住民と一体になって開店できた。商品を供給する役割を果たせた」と、永村さんは振り返る。でも、一番印象深いのは“ライバル”の激励だという。

 十七日の朝、イタリアーノと同じ建物にある「コープ六甲アイランド」は、停電で開店は困難だった。永村さんが「うちはなんとかなりそう」と話すと、コープの当時の店長前田勉さん(56)に「開店すれば、お客さんに安心してもらえる」と励まされた。「同志と思えた」。その夜、店に泊まった永村さんに、前田さんは毛布を届けた。

    ◆

 コープの前田さんは地震当日、自治会に依頼され、食料品の提供を決断した。後日の精算と平等な分配を条件にした。その後、コープこうべ本部と連絡が取れ、費用を請求しないことになった。自治会から「食料を提供してもらって皆が安心できた」と感謝された。

 車が漏れたガスの着火源になるため、通行禁止となった六甲大橋だが、十八日、おにぎりを届けるトラックが往復した。危険の回避と、物資がある安心と、両立をどう図るか。課題が残った。

    ◆

 ガスが漏れたエム・シー・ターミナル神戸事業所は、神戸市の埋め立て地を三菱商事が一九六〇年に購入し、LPG輸入基地に整備した。十二年後、同市は六甲アイランドの埋め立てを始めた。都市開発の結果、臨海部にあるべき危険物貯蔵施設が“内陸”になった。

2005/1/26
 

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