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(8)病院 動けぬ人…悩む看護師
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漏れたLPGに泡が散布された。周辺のタンクの誘爆も心配された=1995年1月18日午前、神戸市東灘区御影浜町
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漏れたLPGに泡が散布された。周辺のタンクの誘爆も心配された=1995年1月18日午前、神戸市東灘区御影浜町

漏れたLPGに泡が散布された。周辺のタンクの誘爆も心配された=1995年1月18日午前、神戸市東灘区御影浜町

漏れたLPGに泡が散布された。周辺のタンクの誘爆も心配された=1995年1月18日午前、神戸市東灘区御影浜町

 巨大なタンクを囲む防液堤の内側は、こんもりと白い泡に覆われた。

 一九九五年一月十八日、神戸市東灘区御影浜町のエム・シー・ターミナル神戸事業所。

 漏れた液化石油ガス(LPG)の気化を泡で抑えた。午前六時から泡を放ち続けながら、東灘消防署の司令補だった藤原潤一郎さん(54)は不安に襲われた。

 「余震でタンクのバルブが、ぼろっと取れないか」「ガスが着火し、炎にさらされたタンクに亀裂が走ったら、おしまいや」

 泡の放射は正午ごろにやめた。漏れる量が安定したので、気化させて拡散させることになった。対策は手探りだった。漏れているタンクのLPGを、隣のタンクへ移すための工事が始まった。

    ◆

 ガス漏れするタンクの対岸に、人工の島「六甲アイランド」がある。八八年から入居が始まり、九五年当時の人口は約一万千人になっていた。

 地震で住宅街に大きな被害はなかった。火災はゼロ。六甲ライナーの橋げたの一部は落ちたが、六甲大橋は通行できた。しかし震災二日目の朝、「島の南東部へ」と、住民は避難を勧告された。車が着火源になるため、“生命線”の六甲大橋が通行禁止になった。

    ◆

 六甲アイランド病院。タンクの南東千六百メートルに位置している。

 五階病棟の主任だった看護師、井口ふみこさん(45)は十七日深夜、体重一七一六グラムの赤ん坊が生まれる難産に立ち会った。一、二時間の仮眠をしたら、起こされた。「避難勧告だそうです。どうしましょうか」。新生児を寒空の下に連れ出すわけにいかなかった。

 病院には約二百人が入院し、スタッフ約百人もいた。タンクに近い北側の病室の患者を南側へ集めた。爆風でガラスが割れるのに備え、カーテンを閉めた。「爆発の規模が分からなかった」と麻酔科部長の速見弘さん(50)が振り返る。

 六階病棟の看護師屋敷早苗さん(42)は、医療用の酸素が底を突くのを恐れていた。なくなれば、十人は死んでしまう。そんなとき避難勧告を伝えられた。「最悪に備え、誰がどの患者さんを誘導するか、避難の優先順位を」と求められた。

 「動けず、意思表示さえできない患者さんを、どうすればいいの」

 紙に書き出した名前を読みながら、屋敷さんは涙が出そうになった。

 午前十時、実は誤報なのだが、「勧告が避難命令になった」との連絡が届く。避難するかどうか、患者に判断をゆだねることになった。井口さんも屋敷さんも「寒い屋外より、ここが安全では」と勧めたが、患者約八十人が避難を望み、島の南東へと歩いて向かった。歩けない患者は男性職員が背負うなど、看護師ら約十人が付き添った。

 ところが、たどり着いた外国人学校は避難者でいっぱいで、しかも寒かった。患者たちは短時間で病院に戻った。

2005/1/25
 

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