リニューアル工事中の「道の駅うずしお」(南あわじ市福良丙)で昨夏、地中から見つかった「門崎砲台」。珍しい明治期のドーム状砲台とあって、調査や一部保存に向けた解体に時間がかかり、工事を中断したため、来春の大阪・関西万博開幕に合わせた道の駅開業は遅れることになった。なぜ市は、着工前に砲台の存在を把握できなかったのか。背景を探った。(劉 楓音)
■「壊された」「地下に眠っている」両説が存在
門崎砲台の周辺一帯は明治時代に陸軍が買い上げ、終戦後の1951年、旧福良町と旧阿那賀村に払い下げた。54年に撮影された写真には、スーツやスカート姿の人々が門崎砲台を訪れる様子が写っており、観光地だったことが分かる。
その後、町村合併を経て旧南淡町と旧西淡町が共同で門崎一帯を管理。両町は眺望を生かした新たな活用策を模索し始めた。
一方で、一つの出来事が一帯の開発を勢いづけた。