1997年に神戸市須磨区で発生した「連続児童殺傷事件」で、当時14歳だった加害男性(34)の両親が、神戸新聞の書面インタビューに応じた。今年で事件から20年。男性からは「たまに連絡が入る」が、直接は会っていないとみられる。一方、男性が2015年に遺族らに知らせることなく出した手記「絶歌」については「出版にいたるまでの順序が間違っていると思いました」として遺族らに謝罪した。
両親側の代理人を通じて2月下旬に申し込み、25日までに便せん2枚で回答が寄せられた。両親が神戸新聞の取材に応じたのは初めて。
男性から連絡がある場合、その内容も尋ねたが、回答はなかった。ただ「本人自身が私たちに会いたいと思う気持ちになるまで、待ち続けたい」とも記し、長期間にわたり、直接会っていない様子がうかがえた。
手記については、事件後に収容された関東医療少年院(東京都府中市)を出てからの様子などが分かったとする一方、「被害者、ご遺族の方々には大変申し訳なく思っています」と記した。
遺族らへの気持ちでは「年月が流れるにつれ、怒り、悲しみ、悔しさ、憎悪が増していると思っています」「私たちが生きている限り、ご冥福を祈りながら償いをさせていただきたい」と謝罪の言葉を繰り返した。(神戸連続児童殺傷事件20年取材班)
【神戸連続児童殺傷事件】1997年2月、神戸市須磨区で小6女児2人が頭部を金づちで殴られ、3月16日には小4の山下彩花ちゃん=当時(10)=が頭部を金づちで殴られ、1週間後に死亡。同日、小3女児も腹部をナイフで刺された。5月24日には小6の土師(はせ)淳君=同(11)=が殺害された。兵庫県警は6月28日、殺人容疑などで中3の少年=同(14)=を逮捕。少年は関東医療少年院に収容され、2005年に退院した。