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「おふくろの形見です」。愛子さんから譲り受けた茶わん台を手にする宇田貞三郎さん=宝塚市
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「おふくろの形見です」。愛子さんから譲り受けた茶わん台を手にする宇田貞三郎さん=宝塚市

 母は阪神・淡路大震災から1、2週間後に息を引き取った。ただ、その時期や状況の記憶はすべて飛んでしまっている。「感情が正常に動かなかった」。宇田貞三郎さん(78)=兵庫県宝塚市=の母親、愛子さん=当時(79)=は神戸市灘区の実家で被災。けがもなかったが、心を病んで意識を失ったまま入院先で亡くなった。遺影すら残っていない。だが「母との思い出は心の中にある」。形見の茶器をいとおしそうに見やった。(名倉あかり)

 「趣味がなかったら、定年後さみしいで」-。仕事にまい進していた47歳の時、愛子さんがぽつりと言った。ふと頭に浮かんだのは実家にあった茶道具。茶道は愛子さんの戦前からの趣味だった。単身赴任先の東京で教室を探し、通い始めた。「定年後を心配するなんて、いくつになっても子どもは子ども。心配してくれていたんでしょうね」と目を細める。

 単身赴任を終え、西宮市のマンションに住んでいた時、震災が起きた。家族4人は無事だったが、マンションは住めるような状態でなくなった。

 愛子さんのことも気掛かりだった。父を胃がんで亡くし、神戸市灘区のマンションに1人で住んでいた。最寄り駅のJR六甲道駅は地震で倒壊。数日後、西宮から実家へ駆け付けた。

 建物自体は無事だったが、家中に亀裂が入り、物がひっくり返っていた。愛子さんにけがはなかった。しかし、地震の影響で心を病み、錯乱していた。すぐに入院させると昏睡(こんすい)状態に。妹と交代で付き添ったが回復することはなく、1、2週間後に息を引き取った。「何に苦しんでいたのかも分からない。結局一度も話せなかった」と悔やむ。

 愛子さんが亡くなった状況も、時期も、詳細な記憶が飛んでしまっているという。「震災当時は毎日毎日が一瞬のように過ぎていった。自分が住む家もなく、とにかく必死で」。感情を失っていたという。

 2000年に震災犠牲者の名前を刻んだ東遊園地の銘板が完成したのを知った妹が「震災で亡くなったのに母の名前がない」と、追記を神戸市に依頼。関連死と認定された。「銘板を見ても『ああ名前があるな』と思ったくらい。母との思い出や震災で実感した大変さは心の中にあるから」

 母の影響で始めた茶道は30年になる。定年後、教室を開いて17年。10~70代の約170人に心得を説いてきた。「母から受け継いだ趣味で弟子の人生がよりよいものになってくれたら、生きているかいがある」と穏やかに語る。譲り受けた茶器は今も大切に保管している。「母が生きていたら『お前の茶飲みたいわ』って言ってくれるんちゃうかな」

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