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解体が検討されているユニチカ記念館=尼崎市東本町1
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解体が検討されているユニチカ記念館=尼崎市東本町1
ニチボーバレーボールチーム・大松博文監督、選手のサイン入り色紙=尼崎市のユニチカ記念館(撮影・佐藤厚)
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ニチボーバレーボールチーム・大松博文監督、選手のサイン入り色紙=尼崎市のユニチカ記念館(撮影・佐藤厚)
ユニチカ記念館の文化財的価値や保存活用について議論された3月のシンポジウム=尼崎市南城内、市立歴史博物館
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ユニチカ記念館の文化財的価値や保存活用について議論された3月のシンポジウム=尼崎市南城内、市立歴史博物館

 国の近代化産業遺産に選定され、兵庫県尼崎市に現存する最古の洋館とされる「ユニチカ記念館」(同市東本町1)の行方に関係者らがやきもきしている。ユニチカが老朽化に伴う耐震化工事など多額の修繕費を理由に解体を検討する中、近代建築の専門家らは保存、活用を要望。財政難の市に代わって県が無償譲渡が可能かどうかを打診しているが、解体を回避できたとしても保存方法や移設先など具体策は決まっていない状態だ。(竹本拓也)

 「尼崎が工業都市として出発した礎がこの記念館。場所性が失われてはいけない」。日本建築学会近畿支部の主査で京都工芸繊維大学助教の笠原一人さんは、「現地で保存するのが最善」との認識を示す。

 同支部は尼崎市や市議会宛てに保存を求める要望書を提出。市議会は採択したが、市は民間施設であることを理由に難色を示しており、ついに県が動き出した。昨年6月に解体方針を県や尼崎市に伝えていたユニチカ側はれんが塀の取り壊しに着手しているが、県の打診を受け回答を検討している。

 笠原さんが現地保存を勧めるのは、れんが造り建物は木造建物に比べて移築が難しいという技術的な問題があるからだ。

 これに対し、県が移築先として候補に挙げるのは「県立尼崎の森中央緑地」(同市扇町)。あくまで現地保存が最善としつつ、これまでに阪神・淡路大震災で全壊した県指定文化財のかやぶき民家「旧小阪家住宅」を移築復元した前例もあるとする。

 全国各地で古民家再生を手掛けてきた元丹波篠山市副市長の金野幸雄さんは「現地保存となると、高い固定資産税が大きな課題となる」と指摘。移築して官民が連携すれば、指定管理料を抑えることもできるとし、駅からのアクセスや広大な自然環境に恵まれた「小田南公園」(同市杭瀬南新町3)も好適地と呼び掛ける。

 一方、県ヘリテージマネージャー(歴史文化遺産活用推進員)で建築家の橋本健治さんは、移築先に「大物川緑地」(同市大物町1)を推薦する。ユニチカの前身「尼崎紡績」は水運と切り離せない関係にあり、現在地から近い川筋で野外能舞台もあり、地域の人も納得しやすいとみる。

 その上でこう主張した。「保存を求める市民の声がやまない。改修設計や保存の議論に、尼崎市も積極的に加わるべきだ」

     ◇     

 ユニチカ記念館は1900(明治33)年、繊維大手ユニチカの前身「尼崎紡績」の本社事務所として完成した英国式れんが造りの2階建て建物。45年の米軍空襲でも奇跡的に被害を免れた数少ない洋館で、経済産業省の「近代化産業遺産」や県の「景観形成重要建造物」に指定される。

 事務所時代には市内で初めて大阪から電話線が引かれ、尼崎の市外局番が「06」となるきっかけになった。尼崎紡績は尼崎で最初に造られた大工場で、その成功を契機として城下町だった尼崎に工場が集まるようになり、市域は経済的に発展を遂げたとされる。

 記念館は老朽化で2019年7月から休館しているが、館内には同社の歴史資料を収蔵。「東洋の魔女」と呼ばれて1964年の東京五輪で金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表の大松博文監督や選手の大半が会社チーム「ニチボー貝塚」に所属したことから、五輪ブレザーや手紙などゆかりの資料もある。

 近年ではNHK連続テレビ小説「あさが来た」で、尼崎紡績の初代社長・広岡信五郎の妻で女性実業家の広岡浅子がヒロインのモデルになったことでも注目された。

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