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JR西への消えない怒りを語るBさん。右手首には傷痕が残る=西宮市内
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JR西への消えない怒りを語るBさん。右手首には傷痕が残る=西宮市内
脱線事故の現場近くで黙とうするJR職員ら=2005年5月17日午前9時18分、尼崎市久々知3
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脱線事故の現場近くで黙とうするJR職員ら=2005年5月17日午前9時18分、尼崎市久々知3

■亡くなった人の分も

 当時専門学生だった兵庫県西宮市の派遣社員男性Bさん(42)は脱線事故後、毎日、悪夢にうなされた。

 あの日、つり革を握って立っていると、ジェットコースターでぐるっと宙返りをしたかのように体が浮き上がって気を失った。

 目覚めると、天井に近い網棚に体が収まっている。ゆがんだ車体の隙間から外に出ると、たくさんの人が息絶えていた。そばで笑い声を響かせた女子学生も、シートに座った高齢者もみんな衝撃で吹き飛ばされ、壁や天井にたたきつけられたと後に知らされた。

 事故から2カ月ほど、自宅の部屋で引きこもった。外に出られない。眠ってもうなされ、奇声を発した。

 「心がおかしくなった。自分はもう生きていない、そんな感じ」。扉越しに両親が「大丈夫?」「ご飯食べよう」と普段通りに声を掛けてくれて、少しずつ体が動き出した。「家族や学校、周りの人のおかげで日常に戻ることができた」

 JR西日本が開いた遺族、負傷者向けの説明会に出向いたのは「事故原因を知りたい」という両親に半ば強引に連れられてだった。

 遺族や負傷者が集まり、事故時に車両のどこにいたかを話し合っている。手掛かりを求める遺族のすがるような声、こわばった顔に目をそむけたくなった。「気を失ってほとんど覚えていない」と恐る恐る言うと、1両目に息子が近くにいたはずだという男性に腹立たしげに言われた。

 「おまえが死んでいれば、息子は生きていたかもしれないな」

 …耳をうたぐった。

 男性は元気な自分を見たことで、余計につらくなったのかもしれない。息子を失ったことへの怒りを抑えきれなかっただけかもしれない。何も言い返せず、家に帰った。

 腹が立った。生きた心地のしない日々を送らされ、なおも自分をこんな思いにさせるJR西への怒りで体が震えた。生き残ったことさえも後ろめたくさせる。しかし、暴言を吐いた男性遺族を責める気にはなれなかった。「亡くなった人は怒りをぶつけることもできない」。無念の思いに胸をかきむしられた。

 

 自分にできることは、二度と同じ事故が起こらないようにJR西へ働き掛けることだと思うようになった。負傷者や遺族向けの説明会では欠かさずメモを取り、ブレーキミス一つでも担当者を問い詰め、意見書も出す。巨大組織には石の礫(つぶて)を投げる程度にしかならないと思っても、右手首の傷を見るたび奮起した。

 横一線に5センチほど深く切れた傷。事故で失神から目覚めると、血だらけになっていた。直後は見るたびに恐怖をよみがえらせるものでしかなかったが、今は別の思いにさせる。

 「亡くなった人の分も生きないといけない。言わないといけない。JRに向き合わないといけない。それは自分の中で、自分に課した『戒(いまし)め』なんです」

 手のしびれは、今も消えない。(村上貴浩)

【バックナンバー】

(1)4人のあの日

(2)罪悪感

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