兵庫県尼崎市の風俗街、通称「かんなみ新地」は警告を受けた今月1日から、夜になっても扉を閉ざしている。
「いらっしゃいませ」と書いた電光看板だけが自動で点灯し、暗闇にぼんやりと浮かび上がる。
6日昼、扉が開き、出てきた女性に声を掛けた。
「それどころじゃないの分かるやろ。あなたに話して助けてもらえるのならなんぼでも話すよ。もう元に戻らへんもんは戻らへんやろ」
店先で警察官を囲み、騒然としていた。鑑識員が周りを入念に調べている。聞けば、空調機器の部品を誰かに盗まれたという。
「まあ、もうエアコンも私らは使わへんから、いいねんけど」と、そばにいた女性が自虐気味に笑った。
16日、道に大量の敷布団やマットレスが山積みになっていた。2日間かけて回収され、外壁に無数にあった室外機が減っていく。
約30店を束ねた「かんなみ新地組合」は解散することになり、積み立てた組合費はこの廃棄の支払いで底を突いたという。
「いよいよこれで最後。風俗店としての復活? 100%、いや200%ありません」。あるママさんは、何往復もするトラックを見つめて言い切り、冗談か本気か分からない口調で付け加えた。
「若い女の子はとにかく、おばちゃんは次の仕事がうまく見つからんかったらねえ…。クラウドファンディングでもして退職金を払ってあげたいわ」
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この街が誕生したのは、さかのぼること70年ほど前、昭和20年代の半ばとされる。
阪神尼崎駅や出屋敷駅、国道2号の辺りに次々と現れた「街娼」が店舗型に形を変え、それが集まって「青線地帯」と呼ばれる非合法の風俗街ができた。
当時のかんなみ新地の呼び名は「パーク街」や「パーク飲食街」。「地元の70歳以上くらいの人は、みんなパークって呼ぶね。店の前には川が流れ、お客は橋を渡ってきてたらしいよ」と、ママさんの一人が教えてくれた。
尼崎市立歴史博物館が市民とともに集めた証言記録によると、その由来は、隣接していた映画館「パーク座」だ。
映画館を建てるに当たって建設業者が隣の空き地に勝手にバラックをつくると、土地所有者が占拠されないように貸店舗を建てた。そこに売春店が集まり、映画館がなくなると、地名の「神田南通」から今の通称が定着していったようだ。
当時の尼崎は労働者のまちとしての求心力を背景に、全国から職や日銭を求めて人々がやってきた。市内に青線は少なくとも9カ所あり、そこで働く女性たちも例外ではなかったという。
1958(昭和33)年に売春防止法が完全施行され、青線の大半は姿を消した。ただ、かんなみ新地だけはその存在こそ知られながらも「陰のなりわい」として非合法で風俗営業を続けてきた。
15年前に取材をしようとした記者は、ママさんの一人にこう言われたという。
「ここらで人のことを根掘り葉掘り聞いたらあかんで。私らも聞かへんし。それが、この街のルールや」(大田将之、安藤文暁)
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