「赤い球体は祖父が考えました!」。先日、阪神総局に読者から電話が寄せられた。それは3月10日付阪神版に載せた「兵庫県警尼崎南署西分庁舎(旧尼崎西署)の交通安全祈念塔」のことだ。「何あれ?」と見た人の首をかしげさせる構造物は、その役割こそ地元で知られるが、誕生経緯は記録にない。発案者は尼崎西署長を務めていた故・松下實(みのる)さんだった。「赤」と「球」に込めた思いとは…。(浮田志保)
祈念塔は直径2・7メートル、高さ12メートル。1974(昭和49)年に交通安全協会が建立し、中の放送設備を使って交通キャンペーンでマナー順守などを呼び掛ける。宇宙船にも見まがう斬新な形状は地元のイベントにも使われて人気だが、今年中に庁舎解体で撤去されることが決まった。
電話をくれたのは松下さんの孫の田中真由美さん(46)=大阪府茨木市。阪神間で育ち、小学生の頃から祖父に祈念塔のことを聞かされて「じいじの赤い丸」と呼んできた。
田中さんによると、丸い形状が「交通事故ゼロ」の「0」を表すと伝わるのは、一説として間違いない。庁舎前は市道と国道2号の交差点で交通量が多く、事故が多発する中で「どうにかして事故を減らせないか」と頭を抱えた署員らに赤い球体を造る案を出したのが、当時署長の松下さんだった。
ただ、なぜ「赤」を選んだのか。それを田中さんが証言する。
「当時の制服の色が一つの決め手だったようです」
70年代初めの警察官の制服は現在の青色ではなく、黒い濃紺色だった。それに、暗くて怖いイメージを持たれやすいと考えていた松下さんはこう思い付いたという。「少しでも明るく、市民に親しみを持ってもらおうとしたのが赤色で、さらに丸い形だったんです」
実はこの球体、初代から何度も塗り重ねられているといい、明るい朱色だった時もあれば濃い赤色だった時もあったという。それにしても、当時の制服の色が前提になっていたとは…。
松下さんは24(大正13)年に兵庫県姫路市で生まれ、大阪の商家の一人息子として育った。幼い頃に警察官から親切にしてもらって「自分も人の役に立ちたい」と終戦直後に同県警に入り、主に警務畑を歩んだ。
アイデアマンとしても知られ、尼崎西署長時代には市内にあった「交通少年団」の歌作りで作詞を担った。79年に退職してもパソコンの学校に通うなど、常に新しいことに挑むのが好きだったという。
田中さんは「地域の人に親しまれた赤い球体がなくなるのは悲しいけれど、人々の安全を担ったものに祖父が携わっていたのは、孫としてうれしい」と語った。

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