阪神

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B29爆撃機による阪神間の主な空襲
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B29爆撃機による阪神間の主な空襲
B29①
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B29①
昭和21年ごろの焼け野原となった杭瀬商店街付近(故・中田寅一氏撮影、尼崎市立地域研究史料館提供)
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昭和21年ごろの焼け野原となった杭瀬商店街付近(故・中田寅一氏撮影、尼崎市立地域研究史料館提供)
米軍が撮影した、仁川・武庫川合流点付近の川西航空機への爆撃(1945年、米国立公文書館所蔵)
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米軍が撮影した、仁川・武庫川合流点付近の川西航空機への爆撃(1945年、米国立公文書館所蔵)
甲子園方面から空襲を受け燃える市街地を望む=1945年8月6日
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甲子園方面から空襲を受け燃える市街地を望む=1945年8月6日

 太平洋戦争の空襲で、近隣の家々を焼き払われた人が言った。「なぜ、ここだったのか…」

 爆撃を免れた地域の人々は言った。「なぜ、私たちは助かったのか…」

 そして、阪神間の空襲を巡る自治体の死者数を見た人々は、こんな疑問を口にした。

 尼崎市    479人

 西宮市    637人

 芦屋市    139人

 伊丹市      6人

 宝塚市     83人

 川西市 少なくとも5人

 三田市      5人

 「1354人以上が亡くなる中でなぜ、尼崎より西宮の方が多いのか…」

 米軍が残した当時の資料から、そんな疑問を一つ一つ明かしていくことが今回の連載の狙いだ。阪神間は「空襲の縮図」と言われ、あらゆるタイプの攻撃を受けてきた。

 狙われた理由は-。空からの作戦行動を、地上にいた人々の証言とともに伝える。(2021年8月の連載から=年齢、肩書は当時)

 ※URLが押せるようになるには時間がかかる場合があります。

■(1)尼崎と西宮で異なる作戦

(https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202108/0014592392.shtml)

■(2)臨海部避けた焼夷弾「投下のミス」は思い込み

(https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202108/0014597092.shtml)

■(3)同時攻撃で迎撃を分散

(https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202108/0014602916.shtml)

■(4)西宮-御影業火に包む

(https://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/202108/0014608753.shtml)

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