織田信長の配下として摂津国を支配し、のちに離反した荒木村重が築いた「有岡城」(兵庫県伊丹市伊丹1)一帯が初めて復元画となった。手がかりとなる資料の少なさゆえに「謎の城」とされるが、専門家の監修を受けることでベールに包まれた部分を推定。城主を務めたわずか4年の間に、城を中心としたまちを築き上げた村重の手腕がうかがえる。(久保田麻依子)
■手がかりは江戸時代の絵図のみ
有岡城の復元画は「主郭部」「西門」「天守(天主)」など。市立伊丹ミュージアム(宮ノ前2)の企画展に合わせ、城郭に詳しい奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)に監修を依頼。全国の城の復元画に取り組む伊丹市出身の富永商太さんが手がけた。
同ミュージアムの森本若葉学芸員によると、有岡城の配置や天守に関する手がかりは、江戸時代に描かれた「寛文九年伊丹郷町絵図」が残るのみで、詳細な記載に乏しい。加えて、主郭部分は明治期以降の鉄道敷設で大半が失われており、1976(昭和51)年から続く発掘調査でも全容は明らかになっていない。
■御殿機能を備えた「格式の高い城」
そこで千田教授らは資料と調査結果を見直すことで、武家儀礼にのっとり、御殿機能を備えた「格式の高い城だった」と判断。その上で、自然石を加工せずに積み上げる「野面積み」と呼ばれる石垣の発見場所から天守の位置を探り、JR伊丹駅そばの「有岡城跡公園」北西部と推定した。
その位置は「寛文九年」の絵図とは異なるが、千田教授は「当時一般的だった城郭と照合すれば、絵図の方に違和感がある」と語る。森本さんも「北西部は地形的に高く、重要な場所だったことは間違いない。ただ、今回の復元画が唯一の正解ではなく、さまざまな議論を生むきっかけにしてほしい」とした。
* *
復元画の公開に合わせ、有岡城を舞台にした歴史小説「黒牢城」で直木賞を受賞した米澤穂信さんや千田教授を招いたトークショーがあった。米澤さんは創作過程で伊丹を訪れたエピソードも紹介。「遠くに箕面の山を望む平たんな地形を眺めながら、戦国時代の町をイメージしていた」と振り返った。
市立伊丹ミュージアムでは復元画など村重の功績を伝える企画展を25日まで開いている。一般千円、高校生・大学生700円、小中学生400円。月曜休館。同ミュージアムTEL072・772・5959
【荒木村重】1535~86年。現在の大阪府池田市で生まれ、下克上で実権を握り、織田信長の家臣となる。もともと伊丹氏を名乗る武士団が築いた「伊丹城」を1574年に攻落し、有岡城と改名して摂津地域支配の拠点とした。4年後に信長に離反し、籠城の末に有岡城を脱出。尼崎城に逃れ、晩年は茶人の道を究めたとされる。

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