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妹と弟の名前が刻まれた碑の前で、思いを語る齋藤昭博さん=西宮震災記念碑公園
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妹と弟の名前が刻まれた碑の前で、思いを語る齋藤昭博さん=西宮震災記念碑公園
記念碑には、亡くなった恵子さんと、浩二さんの名前が並んで刻まれている=西宮震災記念碑公園
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記念碑には、亡くなった恵子さんと、浩二さんの名前が並んで刻まれている=西宮震災記念碑公園
亡くなった妹と弟の名前が刻まれた碑の前で、手を合わせる齋藤昭博さん=西宮震災記念碑公園
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亡くなった妹と弟の名前が刻まれた碑の前で、手を合わせる齋藤昭博さん=西宮震災記念碑公園

 兵庫県西宮市若山町の齋藤昭博さん(45)は、母ときょうだい5人で暮らしていたアパートで阪神・淡路大震災に遭い、妹と弟を亡くした。毎年寒さが厳しくなってくると、思い出す。笑い合ったり喧嘩したり、騒々しくて楽しかった日々を。

 当時、西宮市荒戎町の木造2階建てアパートで一家は暮らしていた。裕福ではなく、狭い部屋だった。父は肺気腫を患い、昭博さんが子どもの頃に他界した。

■同じ部屋に5枚の布団を敷き

 昭博さんが長男で当時17歳。長女の恵子さん=当時(16)=と、次男の浩二さん=当時(13)=が震災で命を落とした。母と末っ子の双子の弟は無事だった。

 前夜、いつものように同じ部屋に5枚の布団を敷き、電気を消した。1995年1月17日午前5時46分、激しい揺れで1階が倒壊した。「2階が1階になっていた」

 家族全員が下敷きになった。昭博さんが家族の名前を順に叫んでも、恵子さんと浩二さんから返事がない。脇腹に触れていた浩二さんの足はすぐに動かなくなった。

 約1時間後、一家は近隣住民の手で脱出することができた。まだ辺りは暗かった。住民の中に看護師の女性がいて、恵子さんと浩二さんは心臓マッサージを受けたが、2人が蘇生することはなかった。返事がなく、足が止まったときに察していた。

 日が昇り、初めて2人の顔を直視した。傷はなく、紫色になっていた。同じ方向に並んで寝ていた2人の顔はタンスの下敷きになっていた。涙が止まらなかった。

■学校に行くことができなかった弟

 中学2年だった浩二さんは、学校に行くことができずにいた。いじめられていた。

 「学校に行きたくない気持ちは、痛いほど分かった。僕も小学校でいじめられていたから」

 浩二さんはゲームが好きだった。阪神西宮駅前のゲームセンターに2人でよく出かけた。こづかいの100円玉を握りしめながら歩く弟の姿を、はっきりと覚えている。

 昭博さんは、定時制高校に通いながら働き、浩二さんに「スーパーファミコン」を買ってプレゼントしたことがある。格闘ゲーム「ストリートファイター」を何度もいっしょにプレイした。

 「100回やって、僕は1回勝てるかどうかでした。もちろん真剣勝負。もし生きてたら、今頃プロのゲーマーとして鳴らしていたかもしれませんね」

 ゲームに勝てなくても、弟の楽しそうな顔を見られることがうれしかった。

 亡くなる数日前、とっくみあいのけんかをした。理由は忘れた。きょうだい喧嘩はよくあることだったが、今も後悔している。

 「ちゃんと謝れてないから。けんか別れになってしまった」

 大人になれなかった自分への怒りは消えない。

 今もし、浩二さんに会えたなら。

 「まずは謝って、ゲームセンターでも行きたいですね。新しくておもしろいゲームがたくさんあるはず。まあ、今やっても歯が立たないでしょうけど」

■妹が大好きだったラジオが聞けずに

 恵子さんは、いつもラジカセの近くにいた。「何聞いてるん?」と尋ねると、ラジオ関西の番組「林原めぐみのハートフル・ステーション」だと教えてくれた。

 パーソナリティーは「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイ役や「らんま1/2」の女らんま役の声優、林原めぐみさん。大ファンで、カセットテープに録音して何度も聞いていた。

 小さい部屋で流れる音は自然と耳に入り、いつしか昭博さんもラジオをよく聞くようになった。

 アニメの声優にものめり込み、「シティーハンター」の冴羽獠や「北斗の拳」のケンシロウ役などを務めた神谷明さんが大好きになった。

 妹の死後、しばらくはラジオを聞く気持ちになれなかった。ただ、10年ほど過ぎ、偶然どこかでラジオ関西の番組を聞くと、妹の顔や声がふっと浮かんだ。再び聞き始め、今では毎日欠かさず投稿するくらいのヘビーリスナーだ。

 「ラジオやアニメの魅力に気付かせてくれた妹には、本当に感謝している」

 今もし、恵子さんに会えたら。

 「録音しなくても、聞き逃した番組を聞けるアプリがあることを教えてあげたい。声優のイベントに一緒に行くのも楽しそうですね」

■震災の1時間前に戻って

 なぜ助けられなかったのか。1月17日を迎えるたび、無力感がこみ上げる。そして、つい考えてしまう。

 「ドラえもんのタイムマシンか、バックトゥザフューチャーのデロリアンがあったらな」

 震災の1時間前に戻って、家族に逃げろと伝えたい。

 西宮市の西宮震災記念碑公園。恵子さんと浩二さんの名前が、記念碑に隣り合わせで並んでいる。

 昭博さんが1月17日に公園を訪れるようになったのは、13年前からだ。ずっと母に任せていたが、足腰が弱り車いす生活になった。誰に言われたわけでもないけれど、長男である自分が代わりに行くことにした。

 「誰も来なかったら、2人もさみしいだろうし。会えたような気持ちになるし」

 28年前、倒壊したアパートの前で泣くことしかできなかった。母は気丈に振る舞い、励ましてくれた。

 「涙ひとつ流さず、励ましてくれた。きっと、一番泣きたかったはずなのに」

 今度は自分が家族を支える番。あの日を思い出すと「しっかりせんとな」と背筋が伸びる。

【特集ページ】阪神・淡路大震災

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