1月17日になるたびに思い出す。それは娘をかばって四つんばいになり、倒れた壁に押しつぶされた姉の、どこか満足そうな顔だ。「自分はダメでも子どもを守れたと思ったんやろな」と医師の児玉隆之さん(53)=兵庫県芦屋市=が振り返る。阪神・淡路大震災で同県西宮市にいた姉の小亀寛子さん=当時(36)=は夫、長男と共に亡くなったが、命の間際で4歳の長女を救っていた。
午前5時46分、児玉さんは姉家族の3人の名を刻む西宮震災記念碑公園で手を合わせ、目を閉じる。
あの日、まだ医学生だった児玉さんは、両親といた神戸市東灘区の実家で地震に遭った。家屋は全壊したが、ベッドが壁の倒壊を食い止めて助かり、両親も軽傷で済んだ。
4時間後の午前10時ごろ、西宮の今津に住む兄が自転車でやってきた。「夙川にいる寛子たちがあかんかった」。川の字で寝ていた夫の正昭さん、2歳だった長男の満正ちゃんと3人で家の下敷きになったのだ。
駆け付けると姉家族の4人でただ一人、長女の智英子さんが生きていた。「壁が崩れてきて、ママが防いでくれた」。壁を支える間に隙間を縫って家を出たという。「強く生きなさい」。そう母に告げられたのが最後の言葉になった。
その言葉通り、がれきの中で見つかった寛子さんは四つんばいの状態で亡くなっているのに、苦しげではなく、どこか成し遂げたような表情に見えた。その姿が、まるで昨日のことのように目に焼き付いている。
■姉のようにハキハキと
その最期を「いかにも姉らしい」と児玉さんは言う。11歳年上で「間違ったことをきちんと正す人」だった。面倒見がよく、勉強もたくさん教えてくれた。小学生の頃は母親に代わって映画館へ「ドラえもん」を見に連れて行ってくれた。
薬剤師として企業に勤め、30歳過ぎで結婚し、子どもが生まれた後もよく実家に来ていた。震災の前日もいて母と「こんなにゆっくりしたん、結婚して初めてやわ」と談笑していた。当日も智英子さんを神戸のピアノ教室に通わせるついでに立ち寄る予定だった。あの地震さえなければ。
それから智英子さんは父方の親族に育てられ、姉に似て活発でハキハキと話す少女になる。思春期には地震の話題に距離を置くようになったが、5年ほど前には結婚し、今は2児の母になった。
■「あんたもおばあちゃん」
あの日以来、両親と追悼行事に行くのは毎年恒例になった。しかし、その父は19年前に亡くなり、母も2年前に他界して最近は1人で赴いている。
慰霊碑に手を合わせると、今は姉と一緒に両親の顔もまぶたに浮かぶ。「父も母も、姉の死を最期まで悲しんでいたので」
記念碑公園の後は神戸市中央区の東遊園地にも足を運んだ。夜明けの空を仰ぎ、姉にはこう報告した。
「娘も元気に生きとうよ。あんたもおばあちゃんやで」
【特集ページ】阪神・淡路大震災

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