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福田朋子さんの銘板をなでる大久保恭子さん=西宮震災記念碑公園
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福田朋子さんの銘板をなでる大久保恭子さん=西宮震災記念碑公園
西宮市・仁川では幅約100メートル、深さ約15メートルにわたって斜面が崩れ、34人が犠牲になった=西宮市仁川百合野町、仁川6周辺、1995年1月18日
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西宮市・仁川では幅約100メートル、深さ約15メートルにわたって斜面が崩れ、34人が犠牲になった=西宮市仁川百合野町、仁川6周辺、1995年1月18日

 「コロナ禍で幼稚園も大変だけれど、頑張ってるよ」。元幼稚園教諭で幼児教室講師の大久保恭子さん(52)=兵庫県西宮市=は西宮震災記念碑公園で銘板をなでながら、そう語りかけた。

 あの日、自宅は半壊したが、同居の両親は無事だった。勤務していた幼稚園に着くと本棚や食器が散らばり、同僚たちと掃除を始めて不安がよぎった。たった一人の同期、福田朋子さん=当時(22)=がいない。

 連絡を取れずにいて数日後、運転中にラジオ放送を聞いていた。西宮・仁川であった地滑りに関するニュースが始まる。新たに判明した死者が読み上げられる中に、彼女はいた。「うそであってほしい」と涙ながらにハンドルを握った。

 翌日、体育館に行くと、パジャマ姿で泥だらけの福田さんが横たわっていた。「痛かっただろうな。苦しかっただろうな…」

 年下を感じさせない落ち着きがあって、優しくて園児らに慕われていた。落ち込んだ時は2人で関西国際空港や六甲山へドライブに行った。

 いつも絶やさなかった笑顔が忘れられず、毎年ここへ来て近況を報告している。もし元気だったら、ベテランの先生。子どもたちに囲まれ、一緒にまだまだ働いていたかった。

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